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はがき伝道 令和2年 11月 385号 真福寺

 

明治30年 上野原市内赤痢伝染病大流行

桑久保 東光寺山門横に建立している記念碑

 

 

 

明治治30年(1897年)、赤痢患者数 160名内死者24名

…歴史はじまって以来の未曾有(みぞう)の大惨事がおこった。

明治30年に県下で猛威をふるった赤痢の大流行である。

このとき県内で9,410人が罹(り)患。

…各地でおびただしい死者が出たといわれる。

…これらの死者を荼毘(だび)に付すときのあかりで、

町内の山々は毎夜明るくなったほどである。

(『上野原町史』より)

 

 

 

 令和2年10月、

世界的新型コロナの伝染病が

巻き起こっている。

今から、120年前、

東光寺周辺の桑久保地区では

24名の死亡者が出た。

赤痢の犠牲者を

記録に残すために

この紀念碑を建立したのである。

 

 全国各地で

明治時代伝染病が流行ったのである。

その原因は、

明治維新による開国により、

横浜に限らず、

各開港地から伝染病が

外国船により伝染したのである。

 

 山梨県下の伝染病は

「横浜港=甲州」間の

絹の道を経由して流入した。

郡内地方は

桑・養蚕・絹織物という

繊維産業を基盤とした

経済構造で繁栄していた。

 

 明治維新以後の

外国貿易による

グローバル化の

人的交流が

伝染病感染の原因となった。

日本国未経験の伝染病に対する

当時の医療施設医学医術の不備が

流行を増幅させた。

 いわゆる市場の

グローバル化による

パンデミックということである。