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はがき伝道 令和元年11月 373号 真福寺

 

「忘れるなよ!」

 

過去の御先祖様の思いを忘れさせない。

感謝の心、報恩謝徳の心を思い起こし、

忘れさせないシステムが寺院である。

 

各家々においても御先祖様は各時代を

一生懸命生きて、現在の我々に

生命を伝承してくれいます。

その生命の恩人である御先祖様は

「先人の苦労を忘れるなよ!」

「御先祖様ありがとうの心を忘れるなよ!」

と言っていると思います。

感謝の心を顕彰する作法が宗教儀式です。

その宗教儀式を伝承し、

過去から現在、現在から未来に向けて、

継承する場所が寺院です。

 

今、1400年前、日本国民の精神、

神儒仏の柱を建てられた聖徳太子様を

忘れさせようとする日本国民が現れている。

それは戦後歴史教育を論ずる学者が提唱したことで、

歴史教科書から聖徳太子が消えてしまったことに表れている。

過去の各時代を生きた先人の徳を消滅させているのです。

 

1400年間培われた太子の徳を

わずか戦後80年間で消滅できるものではありません。

「歴史教育は日本国民の生命が守り続けた、

日本国民の誇りを継承するためにある」と私は考える。

 

昭和20年代の歴史教科書には聖徳太子の項目があり、

太子没後、太子の一族は暗殺され歴史の舞台から消滅する。

太子の残した遺産の一つが「日本」という、国名です。

それまでは倭(わ)と言っていたのです。

日本国は過去から現在まで日本人によって

守られてきたのです。

 

その生命の声を聴く時

「過去を忘れるなよ!」

「先人の苦労を忘れるなよ!」

という生命の思いを感応道交すべきだと思います。

 

 

はがき伝道 令和元年10月 372号 真福寺

 

「人生は邂逅である」【小林吉弥氏書より】

 

「邂逅」とは人との出会いを指す。

敵対せず、本当の話ができる友人の輪を広げたい。

断然、人生は楽しく、それがどこかで結実し、

道を拓いてくれることにつながるのだと

思いたい。と書いてある。

 

元衆議院副議長の渡部恒三氏は、

「一度出会った人とは、生涯付き合う気構えできた。

結局それが自分の最大の財産になっている。」

と言っている。

 

人が人である喜びを感ずることは、

良き友、最上の尊敬できる師をもつことである。

 

100万年位でつくられた新皮質に

蓄積された知識の「盥」で泳ぐ人生より、

38億年かけて蓄積された古脳のひびきを感ずる

「盥」で泳ぐことができる人生を生きていくことが

良き友、よき尊敬できる師に出会うことにつながると思う。

 

そして、人生の達人の言葉や風情を体感できるまでに

情熱をもって生きていきたいものである。

そのためには、人は人との出会いで

一生の明暗が決まることを肝に命じて、

己事究明に徹することである。

 

運命を生きる自由を引き受け、

今あることを無理していやいやながら

飲み込むのでなく、

運命を納得して、受け入れて、

飲み込むことが喜びの生き方になる。

 

二項対立を一つとして受け入れて生きる。

納得しにくい矛盾の問題をすべて

迷わず納得して受容して飲み込むことである。

それが結果として、

笑顔の人生を送ることになる。

生きてて良かった。

生まれてきて良かったということになる。

 

 

はがき伝道  令和元年9月 371号 真福寺

 

「情熱に勝る能力なし」

 

「鈍刀を磨く」坂村真民の詩より

  鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが

  何もそんな言葉に耳をかす必要はない。

  せっせと磨くのだ

  刀は光らないかも知れないが

  磨く本人が変わってくる

  つまり刀が“すまぬすまぬ”と言いながら

  磨く本人を 光るものにしてくれるのだ

  そこが甚深微妙の世界だ

  だからせっせと磨くのだ

 

二宮尊徳の言葉

「おおよそ、人の勲功は

心と体との二つの骨折りに成るものなり。

その骨を折りてやまざれば必ず天助あり」

「骨を折れや二三子(そなたたち) 勉強せよ二三子」

先知先賢の一致して説くところである。

今回は『致知』2019年10月号より引用した。

 

「赤尾の道宗」とよばれた妙好人がいる。

この人の評判をきいたある僧が

「化けの皮をはがしてやろう」と

田んぼの草取りをしていた

道宗の尻を蹴飛ばして転ばせた。

すると道宗は自分で転んだかのように

平然と立ち上がって、また草取りを始める。

それでもう一度、蹴飛ばすと、

また“わっ”と転ぶ。

しかし、同じように平然と草取りをした。

その僧は呆れていながら感心して

「お前は見知らぬ者に理由なく蹴飛ばされ、

転ばされて腹がたたないのか」と思わず尋ねた。

すると道宗は

「前世の借金払いだ。

まだまだ残っているかもしれん」といったそうです。

 

 

はがき伝道  令和元年8月 370号 真福寺

 

「孤独と淋しさの中で」

 

青春時代は友人であれ結婚であれ出産であれ

すべての人間関係は増加の時代といえる。

壮年期を境に増加の曲線は頂点を迎え、終息する。

そして老年期を迎え、加齢する毎に友人であれ

パートナーであれ、親族であれ、人間関係は減少曲線となる。

老年期の喪失の時代からくる孤独と淋しさは

誰でも経験する淋しさといえる。

大切な友人、最愛の妻の旅立ち

二度と手に入らない縁の別離は

心の大きな孤独の穴をあけることになる。

淋しさという孤独地獄に生きることになる。

孤独からの解放は話すことである。

生きがいを見つけ楽しむことである。

 

妻と出会った頃流行っていた。「真夜中のギター」を

結婚後はよく二人で酒を飲んだ時に歌ったものです。

“街のどこかに、淋しがり屋がひとり 

いまにも泣きそうに、ギターを弾いている 云々”

妻が旅立つ二日前、病棟で“かあちゃん”と二人で

「真夜中のギター」を歌ったときも、

“かあちゃん”が死出の旅路に向かうとは。

生ある者は必ず死ぬ。

 

他人であれ自分であれ、出会いの数が多く、

心を通わせた信頼関係が深いほど、

別離のあとの孤独感はすさまじい。

生きることは死ぬことを無視できない。

人と人が出会い別れていくことは世の常である。

 

はがき伝道で、相手に語りかけているつもりが

実は自分が孤独から救われていたのです。

人は孤独を感じないで生きている人はいない。

 

三鷹市の渋谷さんの一文です。

「私の気分を助けて頂いています。

一人になったが、孫が一緒にいて、友達もいます。

よくして頂き、楽しんでいます。

主人が息を引取る前日に、

『世話をかけたな』という一言で

自分の気持ちが癒されました」。

 

はがき伝道 令和元年7月 369号 真福寺

 

「生かす道楽」「殺す道楽」

 

「自分を『生かす道楽』にするか。

自分を『殺す道楽』にするかは、

あなた自身の生き方次第である」と、

カニ道楽創業者故今津芳雄氏が

秦啓一郎(社長)に語った言葉である。

 

自分を殺す道楽はせず、自分を生かす道楽をすることである。

社会や他人に喜んで頂きたい気持ちを大事に生きることが

自分を生かすことになる。

人の人生を殺す道楽、縁を殺す道楽、絆を殺す道楽は

結果自分に返ってくる。自分を殺す道楽になる。

つまり人を生かし、縁を生かし、絆を生かす生き方が

自分を「生かす道楽」になる。

本当に難しいことである。

 

山本有三は『路傍の石』の中で

「たったひとりしかいない自分を

 たった一度しかない一生を

 ほんとうに生かさなかったら

 人間に生まれてきた甲斐がないじゃないか」

と言っている。

 

言葉にすることは容易いことである。

しかし実践は失敗だらけの人生になるほど

容易くはない。

一回きりの人生、やり直しのできない人生は

無理難題の連続である。

言い換えれば、

流水に文字を書くことを、

岩壁に文字を刻む覚悟でやる位でなければ

物事は成功しないのだ。

自分の判断の間違いは

時に人の人生を殺す道楽になることもある。

正しいと思っていた行動が

相手を傷つけることもある。

自分を「生かす道楽」を生きることは大変である。

できれば人の役に立ちながら

成長していく人間になりたいものである。