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はがき伝道 令和4年1月399号 真福寺

 

語る人貴し

語るとも知らで

からだで語る人

さらに貴し

導く人貴し

導くとも知らで

後ろ姿で導く人

さらに貴し

この境地に近づく

 

安積得也氏 詩

 

 

父が生前語っていた言葉です。

安積得也氏の詩を

語っていたんだと

今回“致知”で知ることができた。

 

よく父はたとえ話を

ふらっと語った。

96年の人生にあって、

父と私は50年近く

同じ所で寝泊まりしたことがない。

ほとんど私は

20代から50年近くを

真福寺で生活し、

父は東光寺で一生を過ごした。

そんな親子でした。

 

普段はぼろぼろの服を身にまとい、

百姓やら彫刻やら

作文やら作庭やらをする毎日で、

近くの檀家さんと

お茶話をする日々を送る姿しか

思いつかない父でした。

今思うに

父と東光寺やらなんやらの会合で

会ったりするときに

こうした詩を語っていたの思い出す。

聞くとは無しに、

耳に残っているのが

不思議である。

生前の父の姿が

鮮やかに蘇る思いで、

この詩を読んでいる自分があった。

 

令和4年に年が変わるこの一瞬に

父の言葉が私の心を

通り過ぎて行った。

父の96年の人生の実践が

そこにある。

行は実践の積み重ねであり、

毎日の発心の継続が

大事であると

改めて考えさせられる

思いであった。