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はがき伝道

2023.01

  • はがき伝道 2023年1月6日

    はがき伝道 令和5年 1月 413号 真福寺

     

    伝法

     

     「我々人間の頭脳の中は、

    数限りない印画紙の倉庫となっていて、

    自分が強く感ずれば、

    印画紙は強く感光するし、

    弱く感ずれば、

    浮き出てくる映像も

    ぼんやりとする。

    自分の名前すら書けない

    文盲の老婆でも

    真剣にお経の文を教われば、

    忘れることもない。

    脳中の印画紙は無数であり、

    しかも一度焼き付けられた映像は、

    死ぬその時まで消えることがない」

    草間道三輔書より 平成28年当時のメモより抜粋

     

     御先祖様が一生懸命生きて

    頑張ってくれたお蔭で、

    今の私があることを思うとき、

    今の苦しいことや

    困難があっても、めげない気持ちになる。

    それが本当の生きる力となる。

    そこに「ありがとう」の気持ちが生まれるのだ。

     

     千年の時を超えた伝法が

    印画紙のように刷り込まれている。

    それが私に伝法されている。

     

     38億年の命の伝法、

    4500年前の縄文時代のDNAの伝法が

    印画紙のように私に刷り込まれている。

    そのDNAの伝法が今の私に響いてくるのである。

     

     埼玉県の会社員はこんな川柳を書いている。

    「俺を見て、御先祖様と孫が言う」

     

     まさに伝法である。

    御先祖様より頂いた伝法に対する

    感謝の心が供養という作法である。

     

     今、生きている私達には、

    幸福や楽しい人生と

    健康で長寿でいることが

    尽きないように願い、

    亡くなった人々や御先祖様は

    苦から離れて

    安心と安眠を願う

    供養の救いの中に生まれますように願う。

     

     先祖祀りの供養を積むことは

    父母の苦労、

    德に報い、応える伝法行事である。

     

     

     

     

     

     

  • はがき伝道 2023年1月6日

    はがき伝道 令和4年 12月 412号 真福寺

     

    無言の教え

     

     ある新聞の投稿欄に

    次のような記事がでた。

     

     「高校二年の次女、夏休みの社会科宿題が

    〈郷土のことを調べなさい〉でした。

    で娘が選んだテーマが〈わが家のルーツ〉。

    83才になる祖父が

    〈うちは彰義隊生き残りの家系〉と話してくれたのがヒント。

    日比谷の図書館へ行って調べてみると、

    ありました。ありました。

    寛政の「武家家系図」に先祖のことが

    出ていて、いままで不明だった

    先祖の墓までわかったのです。

    始祖は鎌倉の武将。

    代々つづいて江戸時代は

    徳川の旗本だった。

    幕末、曽祖父が彰義隊に参加、

    敗れたのでした。

    祖父は生き残った父の事が気になるのか、

    このことを話したがらなかったのです。

    私達、これまで仏様を

    あまり大事にしていなかったのですが、

    先祖がわかったら、

    弔ってあげなくては、

    という気になりますからおかしなものね」

    (厚木市主婦)

    というものでした。

     

     祖先とのつながりを知り、感ずる時、

    先祖供養をせずにはいられないというのが

    人情というものである。

     

     オギャーと生まれて

    いつしか70歳を超える年になった。

    父母がこの世を去り、妻が去り、

    人生というものに

    喜怒哀楽があることを実感する。

    人と人との縁と絆の大切さを

    しみじみと細胞の奥深きところまで

    響き渡るのを体感するこの頃である。

    頭で理解することと

    体全体で体感する叡知はどこか違う。

    先祖供養は、生命全体で感ずる

    無言の教えに対する

    報恩の作法であると、

    私は確信してお伝えします。

     

     一陽来復を迎えるたえに

    「無言の教え」を受信できる心に

    チャンネルを合わせたらいかがですか?

     

     

     

     

  • はがき伝道 2023年1月6日

    はがき伝道 令和4年 11月(その2) 411号 真福寺

     

    実りある日のくるために、

     流さるる汗は力になると信ずる。 

     生命の言葉より(王子神社)

     

     差別し合い、否定し合い、

    批判し合うことからは、

    不幸や悲劇は生まれても、

    幸福や成功は生まれない。

    助け合い、分かち合う幸せを

    大事にすることである。

    そこから笑顔や生きる希望は生まれるのです。

     

     世の中は「三風五雨後二晴」の喩えのように

    「十日の内、三日は風、五日は雨、

    あとの二日が晴れるだけ」のようなものである。

     

     苦しいことや、悲しいこと、

    淋しいことがたくさんある。

    良かったなと思えることは少ないものだよ。

    私たちの一生もそんなものかもしれません。

    春夏秋冬に例えるなら

    「三風五雨」は冬かもしれない。

    また潜龍の時代かもしれない。

    冬の寒さや厳しさを

    嫌がらないことである

    冬は、春の花が咲くための

    力を貯える準備の時期である。

    綺麗に咲き誇るために、

    力を貯える時期が冬なのである。

    冬を嫌いと思っても

    消えることはない。

    冬の時中を正面から受け止めて、

    ゆっくり、ゆっくり焦らず学び、

    実力を鍛える時中とすることである。

     

     パスツールは「偶然はこれから起こるであろうことや

    そのために必要なものを

    事前に備えたり、調子を整えたり、

    予定、予測、分析、推論、推理等々

    考察することをしていたものにしか微笑まない」と言っている。

    冬はまさにこのためにある。

    春の綺麗な花を咲かせ、秋の実りを得る為に

    必要な時節が冬の時中なのである。

    人生で言えば、

    「若い時流さぬ汗は、

    老いて涙となって出る」にならないために、

    人生の冬を大事にして力を貯えることである。

     

     

  • はがき伝道 2023年1月6日

    はがき伝道 令和4年 11月 410号 真福寺

     

    ライフフィールド(命の磁場)

     

     位置エネルギーは不易である。

    御先祖様より引き継がれた

    命の絆によって蓄積された

    巨大なエネルギーと言える。

     

     運動エネルギーは流行である。

    時々刻々と変化していく

    只今活動している

    有限な生命エネルギーが

    我々の命である。

     

     人生の磁場エネルギーを

    位置エネルギーに例えるなら、

    死者の眠る墓所がそれになる。

    子孫繁栄のために家継承は

    大事な儀式により伝承され、

    過去から現在まで大切にされてきた。

     

     そして、お墓、その施設や仏壇は

    重要なエネルギーの磁場になるのです。

     

     中国の2500年前の

    春秋戦国時代。

    斉の宰相に晏子がいる。

    斉国王景公が正殿の楼台を築いたとき

    逢手何の母親が亡くなり、

    父の眠る墓地が楼台の下にあるので、

    そこに母を合葬させてほしいと願いでる。

    そのことを晏子に頼みます。

    晏子は斉の景公にその事情を話し、

    合葬の願いを叶えたという話がある。

    古来より墓所は

    人間の魂が眠る墓地として

    大切にされてきた。

    その例は過去から現代まで多々ある。

     

     先祖代々の生命の大木は不易である。

    我々一人一人の人生は有限な流行である。

    有限な生命の拠り所は

    御先祖様の眠る大木のごとき

    墓であることを忘れないことである。

    自己の幸福は多くの縁と絆によって

    守られていることを思うとき、

    先祖供養や葬儀・法要は

    大事な儀式となるのです。

     

     

  • はがき伝道 2023年1月6日

    はがき伝道 令和4年10月(その2) 409号 真福寺

     

    「草鞋(わらじ)」

     

     平成28年10月に

    東京にお住いの守屋さんが

    来寺した時のこと。

    法事の後、

    雑談している時、

    「わらじの話」を何気なく話した。

     

     修行中、草鞋作りをする。

    草鞋を作るためには

    「藁」を柔らかくして

    「藁」を紐のようにして

    藁を編むことで「草鞋」ができる。

    その「草鞋」を作る時に

    手間を掛けないと

    後でひどい目に遭うことを

    話したのである。

     

     わら打ちをしっかり気長にして、

    藁が柔らかになるまで打たないと、

    藁がしなやかにならない。

    中途半端なわら打ちで作った

    「藁」で「草鞋」を作ると、

    托鉢に行った時に、

    足裏が「草鞋」のために

    擦れて豆だらけになり、

    歩くのもつらい状態になるのだ。

    一度懲りると次の草鞋作りの時は、

    誰もが真剣にわら打ちをしたものである。

     

     そんな話を守屋さんにした。

    85才になる守屋さんは合点して、

    若い頃の草鞋の話を楽しそうに聞いていた。

     

     人間も同じだとも言った。

    つまり、若い時代に

    躾というわら打ちをしっかりしないと、

    中途半端な育ち方をする。

    すると知識は持っているが、

    知恵の足りない

    自己崩壊の人生を送ることになるというのだ。

    社会人に成長するための

    人生のわら打ちをしっかりしないと

    年老いて、

    足裏の豆だらけの状態と同じように、

    泣いて生きることになる。

    という下りで、

    守屋さんとの話は落ち着いた。