2023.07
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はがき伝道 2023年7月28日
はがき伝道 422号 良き縁、良き言葉、良き教え
はがき伝道 令和5年 8月 422号 真福寺
良き縁、良き言葉、良き教え
「良き縁、良き言葉、良き教えに
会えるためには
自分自身が会えることを
念ずることである。
今ここに生かされていることは
父母の縁であり、
自然の恵を頂いていることを
感謝することである。
それは『ありがとう』の心から
始まるのです。
良き縁、良き言葉、良き教えに巡り会うためには
まず「ありがとうの心」を持つことである。
核家族になり個々の自由が大切にされている。
その自由を語るために
父母の縁、御先祖様の縁、
大自然の絆の中で
おぎゃーと生まれ育たねばならない。
「おのれの自由」を語ることすら
できないのである。
大地に感謝、
父母に感謝するものは
自然と笑顔と優しさが
体内からにじみ出てくる。
そしてそれが
良き縁、良き言葉、良き教えに
巡り合う御縁となるのである。
自由を叫ぼうが、
「父母が勝手に産んで」と
父母を貶そうが
父母がいなければ、
御先祖様の命の絆がつながっていなければ
どうにもならないのである。
先祖はいらない、
父母は結構というのは自由である。
しかし、自身の体は父母、
御先祖様の血肉の伝承によって
できているのである。
きっと父母、御先祖様は
“ムッ”としていることだと思う。
そんな感謝の心がない人生に
父母、御先祖様が良き縁、
良き言葉、良き教えに会える機会、
チャンスを作ってくれるとは思えないです。
風光明媚な大自然や神を敬い、
御先祖様を崇める、
敬神崇祖の心を大事にすることで
大いなる良き縁、
良き言葉、良き教えに
出会えると私は信じます。
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はがき伝道 2023年7月28日
はがき伝道 421号 二度とない人生だから
はがき伝道 令和5年 7月 421号 真福寺
二度とない人生だから
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を注いでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を傾けてゆこう
二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう。
貧しいけれど心豊かに接してゆこう。
坂村真民先生は「二度とない人生だから」
という詩を残している。
人生という舞台にやり直しはない。
同じ舞台の幕は二度と開けられない。
一生という字は「生は一つ」と書く。
一つの生と書き、一つしかない生命といえる。
何して生きようが、
必ず終わりがくるのが一生である。
納得のいく生き方をしないで、
死んでゆくことは淋しい。
私の舞台を生きるために、
多くの縁と絆を大事にして、
我が人生悔いなしと、
一生を終わりたいものである。
安岡正篤先生は
「縁尋機妙、多逢聖因」といっている。
縁と絆が笑顔の自分を招来できるように
生きたいものである。
「伊勢物語」に
“月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身ひとつはもとの身にして”とある。
50年前に大学キャンパスでバカ騒ぎをした
新潟の住職二瓶が旅立った。
二度とない人生であることを
実感する今日この頃である。
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はがき伝道 2023年7月28日
はがき伝道 420号 お任せする心
はがき伝道 令和5年6月(その2) 420号 真福寺
お任せする心
幼児のように真っ直ぐな心で
「御先祖様はありがたい!」と感動し
「御先祖様にお任せします」と信じ切り頼り切る。
盥(たらい)の水の中に泳ぐ金魚たちは
すべて盥の世界に身を任せ、
お任せして生きている。
宇宙生命という盥の中で
生かされているのが私達だ。
春夏秋冬の季節から
離れて生きていけない。
春には春の世界にどっぷり浸かりきって
お任せして過ごす。
夏には夏の清々した夏雲の下で
汗をかきながら
全エネルギーを受け止め切ってお任せする。
秋は秋の風を受け止めて、
山の錦絵を体感して、
風情の中でお任せする喜びの心を受け止め、
尽くしきる。
冬は冬の寒さを全身で受け止めて
お任せする心を大事にする。
四季の移り変わりを全身で受け止め、
お任せする心で過ごした
春夏秋冬の時中を経て迎えた春に
花は咲き競うのである。
四季の四苦八苦を
お任せして生かさせて頂き、
花は感動を与える春を迎えるのである。
大自然の手の中で巡り巡り、
四季は変わらぬ繰り返しの風情を現出する。
その不変の真理を悟って
お任せすることが安心を頂く妙諦である。
昨日の花は今日の花ではない。
しかし、花はお任せして
咲き尽くすのである。
雨が降ろうが、
風が吹こうが。
人生は苦があろうが、病があろうが、
楽があろうが、
今あることを素直に受け入れて、
親神様の手中に
身をお任せして、生きるのです。
明るく、明るく、
生命を生かさせて頂いている今を
お任せすることである。
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はがき伝道 2023年7月28日
はがき伝道 419号 花
はがき伝道 令和5年6月 419号 真福寺
花
「花は黙って咲き、
黙って散って行く。
けれどもその一時一処に、
この世のすべてを託している。
一輪の花の声であり、
一枝の花の真である。
永遠にほころびぬ生命のよろこびが
悔いなく、そこに輝いている」
柴山全慶老師
春夏秋冬の一年が
生命の全部(ぜんぶん)である。
春は春、夏は夏、
秋は秋、冬は冬の一部(いちぶん)の時中を過ごして、
一年という全体の生命活動が躍動し
次の一年に発展進化する。
春だけにすべてを求めることを
時流という。
春は春の一時の姿であり、
すべてではなく、次の夏を迎える時中である。
人生は生老病死という時中を生きて、
次の時中に生命活動を委託する。
人生という全部の中には
栄枯盛衰がある。
そのどこを切り取っても、
私の全部の一部でしかない。
栄は一生の時中であり、
枯も一生の時中である。
いつまでも栄え続けることもなく、
いつまでも枯れ続けることもないのである。
一輪の花が咲くために
一年の春夏秋冬を費やして、
一瞬の輝き光を放つのである。
生命の姿の一部が春の光であり、
夏の光であり、秋の光であり、冬の光である。
生命の全体は春夏秋冬である。
どこかだけを切り取って、
自分勝手に思っていくことを時流という。