-
はがき伝道 2022年5月2日
はがき伝道 403号 祖国
はがき伝道 令和4年5月403号 真福寺
2月より2ヵ月にわたる
ロシアによるウクライナ侵略は
不幸の方程式である。
日本がそんなマイナススパイラルに
陥らないことを祈念する。
23年前の平成11年118号で書いた一文を再録します。
「日本人は安全と水はタダだと思っている」
『日本人とユダヤ人』より
ヨーロッパは今、
EU経済統合が出発しました。
統一通貨による
経済活動は
世界的にも多大の影響が生まれます。
ソ連邦の崩壊による、
各民族間闘争が多発している
現在の東欧が分裂の方向で
社会が動いていくなかで、
経済統合が経済統一という方向で
平和と繁栄に向かい活動が始まりました。
日本のそばで
日本を射程距離内に置いたミサイルが
配備されつつあるのに
何ら会議が、討論がからまわりして、
本論にならない国、
それが日本です。
「モルダウ」という名曲があります。
愛国主義者であり、
祖国の美しい自然を
だれよりも愛したスメタナは
交響曲「わが祖国」をつくりました。
この曲中の二曲目が「モルダウ」です。
祖国あっての平和であることを
学ぶべきです。
自分の国に愛情を持つことを
否定したことから
日本の現在の悲劇が
はじまったように思えます。
日本は、国が植民地とか
他民族に支配されて
奴隷として難民になる悲劇に
直面したことがない
平和国家です。
しかし、世界が
これほど身近に感じられる今日、
いつ他国が牙を向いて
襲いかかってくるか
わかりません。
他国に支配される苦しみは
世界史に知ることができます。
日本の文化のすばらしいことは
一本の縦糸である
日本民族が
旧石器時代、縄文時代より
現代まで切られずに繋がっていることです。
-
はがき伝道 2022年4月7日
はがき伝道 402号 ふるさとは
はがき伝道 令和4年4月402号 真福寺
新沼謙治さんの歌に
「ふるさとは今もかわらず」
という歌がある。
「静かに流れる川、
薫る草の青さよ!
緑豊かなるふるさと、
花も鳥も歌うよ!
君も僕もあなたも、
ここで生まれた
ああ、ふるさとは
今も変わらず」
一生懸命働いて働いて、
立ち止まる時間も無いまま、
時代は変化し
自分の人生を過ごしているうちに
ふるさとの山々、
川のせせらぎの音さえ
聞くことを忘れてしまう。
そんな毎日の果てに、
突然病に襲われることもある。
そして戦争が目前に現れることもある。
令和4年2月21日に
ウクライナ東部の独立を承認する形で、
ロシアは軍隊を派遣した。
ウクライナの内部の呼び込みにより
ロシアは戦争に突き進んだのだ。
春の日差しを浴びる暇もなく、
老人や女性や子供たちは
一瞬で真冬の地獄に
突き落とされたのである。
平和の喜びを満喫する風景が
たったの三週間で
ウクライナは廃墟と化したのである。
平和と安全と水は
タダでもらえ、
故郷の温かさを
享受できると思っている
日本人は幸せだと思った。
しかし、
いつ何が起こっても
おかしくないことを
世界の歴史は教えていることを
忘れてはいけないと思う。
「生まれ育った故郷は
今も変わらず」でありたい。
-
はがき伝道 2022年2月19日
はがき伝道 401号 百万の典経
はがき伝道 令和4年3月401号 真福寺
百万の典経(てんきょう)
日下(にっか)の燈(ともしび)
円覚寺管長 今北洪川老師
意味は
「百万の経典を読んでも
実行しなければ、
お日様の下で
蝋燭をともすようなもの、
何の値もない」ということである。
「古の道を聞いても唱えても
わが行いにせずば甲斐なし」
立派な教えを聞いても、
また口で唱えても、
実行しなければ
何の値打ちもない。
「実行の伴わない限り、
いかなる名論卓絶も、
書いた餅にひとしい」
「今日一日の実行こそが
人生のすべてである」
尊い教えを
日下の灯にしなかった人だけが、
人生の成功と
感動と喜びの実感という果実を
手に入れられるのだと思う。
練習すれば結果は出る。
しかし、努力しても
結果が出ないと、
諦めるのは早すぎるのだ。
ある父親は結果が出ない息子に向かって
さらにこういった。
「努力までは誰でもする。
大事なのは
努力の上に、
辛抱という棒を立てる。
その上に花が咲く」と。
「東大医学部を目指していたが
成績が上がらず、
人を殺して死のうと思った」
といって、
大学入学共通試験初日、
東大前の歩道で
三人を刃物で刺した高校生がいる。
「春の花が咲くために、
冬という厳しい時代を
辛抱して、
耐えて
花を咲かそうするのが
努力である。」
そのことを今の学問所は
教えていないのだろうか。
その知識は一杯頭に
袋詰めにしているが、
全体を俯瞰する
知恵の行が
欠落した学問所に
なっているのではないだろうか。
-
はがき伝道 2022年2月19日
はがき伝道 400号 ここまできました
はがき伝道 令和4年2月400号 真福寺
ここまで来ました400号
はがき伝道は
平成2年10月に始まり、
令和4年2月の今日まで
32年間毎月発行しました。
数量は当初は20枚くらいでした。
今では、毎月2000枚を郵送しています。
母の闘病と旅立ちが縁で始めた通信です。
玉泉寺の柏さんが当時、
光っさん、『書き始めたら10年やってみな!』と言った
言葉が、32年間書き続けられた
エネルギーになっている。
つい最近の話である。
光っさん、『あとは、死ぬまで書き続ける事だな!』
オイオイと言うところである。
毎月同じ原稿は書くまいと
思い続けていくうちに、
己の皮を少しずつはがしていることに
気づきました。
特に、平成26年4月の妻の旅立ちが
引き金となって
文面が変わり始めました。
そして令和元年12月
父との別れが新たな自分発見となりました。
御宿の伊藤治昌博士、
品川の冲永恵津子先生、
画家の故友永マリ先生、
中村ユミ先生とは、
1号から400号まで
通読して頂いています。
多くの師匠、
諸先輩に指導と理解を頂きながら
今日まで来ました。
両親の旅立ち、
妻の旅立ち、
多くの友人、
師匠の旅立ちを、
また世相の移り変わりを
経験しながら、
32年間のタイムマシンに乗って
書き続けてきたような気がします。
改めて、
すべてのご縁に
「ありがとう」の気持ちで一杯です。
お陰様でもう少し
書き続けていく勇気が湧いてきました。
500号まで書き続けたい気持ちです。
応援して下さい。
-
はがき伝道 2022年1月24日
はがき伝道 399号 積み重ね
はがき伝道 令和4年1月399号 真福寺
語る人貴し
語るとも知らで
からだで語る人
さらに貴し
導く人貴し
導くとも知らで
後ろ姿で導く人
さらに貴し
この境地に近づく
安積得也氏 詩
父が生前語っていた言葉です。
安積得也氏の詩を
語っていたんだと
今回“致知”で知ることができた。
よく父はたとえ話を
ふらっと語った。
96年の人生にあって、
父と私は50年近く
同じ所で寝泊まりしたことがない。
ほとんど私は
20代から50年近くを
真福寺で生活し、
父は東光寺で一生を過ごした。
そんな親子でした。
普段はぼろぼろの服を身にまとい、
百姓やら彫刻やら
作文やら作庭やらをする毎日で、
近くの檀家さんと
お茶話をする日々を送る姿しか
思いつかない父でした。
今思うに
父と東光寺やらなんやらの会合で
会ったりするときに
こうした詩を語っていたの思い出す。
聞くとは無しに、
耳に残っているのが
不思議である。
生前の父の姿が
鮮やかに蘇る思いで、
この詩を読んでいる自分があった。
令和4年に年が変わるこの一瞬に
父の言葉が私の心を
通り過ぎて行った。
父の96年の人生の実践が
そこにある。
行は実践の積み重ねであり、
毎日の発心の継続が
大事であると
改めて考えさせられる
思いであった。