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はがき伝道 2023年1月6日
はがき伝道 409号 草鞋
はがき伝道 令和4年10月(その2) 409号 真福寺
「草鞋(わらじ)」
平成28年10月に
東京にお住いの守屋さんが
来寺した時のこと。
法事の後、
雑談している時、
「わらじの話」を何気なく話した。
修行中、草鞋作りをする。
草鞋を作るためには
「藁」を柔らかくして
「藁」を紐のようにして
藁を編むことで「草鞋」ができる。
その「草鞋」を作る時に
手間を掛けないと
後でひどい目に遭うことを
話したのである。
わら打ちをしっかり気長にして、
藁が柔らかになるまで打たないと、
藁がしなやかにならない。
中途半端なわら打ちで作った
「藁」で「草鞋」を作ると、
托鉢に行った時に、
足裏が「草鞋」のために
擦れて豆だらけになり、
歩くのもつらい状態になるのだ。
一度懲りると次の草鞋作りの時は、
誰もが真剣にわら打ちをしたものである。
そんな話を守屋さんにした。
85才になる守屋さんは合点して、
若い頃の草鞋の話を楽しそうに聞いていた。
人間も同じだとも言った。
つまり、若い時代に
躾というわら打ちをしっかりしないと、
中途半端な育ち方をする。
すると知識は持っているが、
知恵の足りない
自己崩壊の人生を送ることになるというのだ。
社会人に成長するための
人生のわら打ちをしっかりしないと
年老いて、
足裏の豆だらけの状態と同じように、
泣いて生きることになる。
という下りで、
守屋さんとの話は落ち着いた。
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はがき伝道 2022年9月25日
はがき伝道 408号 縁と絆
はがき伝道 令和4年10月408号 真福寺
「縁と絆に寄り添う」
私の中に存在する自我に
真我が寄り添う。
例えば自我を流行、
真我を不易と言えるかもしれない。
子が父母に寄り添う
父母が子に寄り添う
御先祖様に寄り添う
天地に寄り添い
「ありがとう」と感謝を伝える。
春夏秋冬の季節の移り変わりに
寄り添い、
生かされている自分に気付く
喜びを感じましょう。
大切な家族のそばに
寄り添うとき、
微笑みかけて
寄り添うとき、
春風のような優しい気が、
私を包んでくれると思う。
「ありがとう」の心で
寄り添って生きていくとき、
「ありがとう」の心が帰ってくる。
騎牛帰家という言葉がある。
ゆったりとした心で
安心を頂いた
優しい気持ちで牛に乗り、
自ずと我が家に
辿り着く心境である。
俺が俺がの自己中心の生き方から、
あなたから生かされている
私は果報者。
大自然万物の恵みの中で
生かされている。
私は何と幸せな人生だな!と感じ、
見るもの聞くもの
すべて良しの心となる。
そんな心境が
「騎牛帰家」かもしれない。
十牛図の語る
「騎牛帰家」とは程遠い語りであるが、
「帰家穏座」するように
本来の自分の安心の場を
持つことが大事である。
本来の面目に気付き、
自己の内面に輝く、
真我(不易)を見つけることで
自己の寄り添う安心の場所となる。
そこに大安心がある。
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はがき伝道 2022年9月25日
はがき伝道 407号 不思議
はがき伝道 令和4年9月407号 真福寺
「ふしぎふしぎ
ここに生きて
呼吸して
手が動いて
考えて
泣いたり
笑ったり
なんという不思議な
いのち
もらったんだろう」
画家 佐藤勝彦作
いのちの不思議である。
父母の縁により
命を頂いた不思議に感謝します。
父母のお蔭で今の私があります。
父母につながる
御先祖様の命の
バトンリレーが
一度も落とされず
繋がってきた
不思議な絆によって
私があります。
目に見えないけど
御先祖はいるんだよ。
その御先祖様は
大いなる力、
働きによって
奇跡的な無限大の出会いにより生まれ、
生かされてきた。
その時代その時代を生まれて
一生懸命生きてきた
一人一人なのである。
本当に「ありがたい」
生命のつながりは
「ふしぎふしぎ」である。
その「ふしぎふしぎ」の命の鎖で
私は今生かされているのです。
私の地球のまわりは、
太陽を始め
宇宙の月や星の調和で
満たされています。
そして、地球には
多くの人々、
動植物微生物細菌まで含めて
無限大の一切の恵みが
満ち満ちています。
その恩恵の中で
私は生かされているのです。
ありがたいことです。
感謝です。
今ここに
「ふしぎふしぎ」
私は生かされている幸せを感謝します。
御先祖様に感謝します。ありがとう!
ふしぎふしぎにありがとう!
ありがとうの感謝を忘れず
生きていきたいものです。
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はがき伝道 2022年8月17日
はがき伝道 406号 お盆経
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はがき伝道 2022年8月17日
はがき伝道 405号 充分
はがき伝道 令和4年7月405号 真福寺
ただされだけで十分
元気で愉快に働き、
晴々と年を重ねる
長寿の秘訣は
自分に合う波長で
人生を送ることである。
充実感、一体感、安心感で
満たされる心を体得することである。
自分の心の器が
満足する時、
笑顔、和顔、幸福感の
充足を味わえる。
笑々幸福の顔となる。
年を重ねてくると、
新しいものよりも、
これまでに触れてきたものを
もう一度味わってみたくなる。
かつて聞いた音楽、
見た絵、読んだ本、
誰かと歩いた場所、
すでに出会っている人との
縁のある思い出と意味。
現在まで歩いてきた
地続きの思い出の中に
その時その時の
歩幅が少しずつ違っていたことに
気付くことがいっぱいある。
今、終活、終活と
マスコミに振り回されて、
あくせくと
死の支度をする暇があったなら、
少年、青年、壮年、老年と
それぞれの時代に
置き忘れてきた
地続きの思いの気づきを
楽しむ時間に充てることが
大事じゃないかと思っている。
過去仏と私は友達
御先祖様は
私の中に生きている。
私が喜べば、
御先祖様も喜ぶ。
私が泣けば、
御先祖様も悲しむ。
私がありがとうと言えば、
御先祖様もありがとうという。
今、ここに私が生かさせて頂いているのは、
御先祖様のおかげ。
御先祖様にありがとうといえば、
御先祖様はあなたが今ここに生きているから、
過去仏の私も、
今ここに生きていられるのだよ。
と答えてくれる。
今ある家族の幸福を願わぬ御先祖様はいない。
楽しく明るく幸せな日々に感謝しながら、
お盆を迎えましょう。
令和4年7月8日安倍元首相が暗殺された。
ご冥福をお祈りします。




