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はがき伝道

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  • はがき伝道 2023年11月17日

    はがき伝道 令和5年 11月 425号 真福寺

     

     相続也大難

     

      相続也大難

      父母子法燈

      三十八億年

      唯余一喝禅

     

        無平仄

     

     ①何事も相続することは大いに難しいことである。

     ②親が子に、子が孫に生命を伝承することも大変なことである。

     ③生命の法燈は今日まで38億年間消えることなく

      私まで伝えてもらった。なんとありがたいことだろう。

     ④しかし、だからこそ伝統や文化というものは

      気を抜くと消滅してしまう。

      多くの文明、多くの国家、生まれては消滅していったではないか。

      一瞬の気の緩みで38億年の伝統も消滅することがある。

      禅はそこのところをご用心ご用心と

      警鐘をいつもならしていることをお忘れなく。

     

     ロボット博士森政弘先生はは

    「僕たちの生命は、

    お母さんから生まれた時に

    突然発生し、

    死ぬときに一瞬に無くなってしまうと

    普通に思われているようなものではない。

    永遠の過去から、永却の未来へと

    受け継がれてゆく、

    宇宙の大生命そのものが

    僕たちの生なのである。

    そして、同時に宇宙の一切合切が

    僕たちの親戚なのだ」と言っている。

     

     長田弘作氏は「亡くなった人が後に遺してゆくのは、

    その人の生きられなかった時間であり、

    その御先祖様(死者)の生きられなかった時間を

    ここに在る自分がこうして今生きている」と言っている。

     

     生命の伝統は相続して

    生き続けてきたのである。

    ありがたいことです。

    精一杯生かされている生命を

    生き切りたいものです。

     

     

  • はがき伝道 2023年11月17日

    はがき伝道 令和5年10月424号 真福寺

     

     同行二人 塩田明子様の為のはがき伝道です

     

     私はたった一人の孤独な人間ではない。

    父母の縁でこの世に生まれた時に

    一人ではないのだ。

    歳を重ねる度に

    多くの人との出会い別れをしていった。

    ただ、私が活きる筋に

    身心共にピタリと合う人に、

    共鳴できる人に出会えないことが

    孤独という闇にさまようことになる。

     

     でも、私の背中には

    多くの縁と絆で結ばれた御先祖様がいる。

    無限の存在の御先祖様の胸元に

    甘えて休むことを思うとき

    孤独な淋しい苦しい心は解放されて

    大海で自由に泳いでいる

    清々しい気持ちになるのではなかろうか。

     

     みんな孤独で淋しいけど一人じゃないよ!

     みんな一度しかない人生を大切に生きている。

     私もその一人。

    心の安心が大事。

    甘えることが大事。

    御先祖様に甘えるなら、

    無償の愛に包まれて

    心を受け止めてくれる。

    それが御先祖様の神通力だと思う。

    無限の愛の慈悲の中で

    生きて安心して

    眠ることが大事。

     

     同行二人ははすべての人に存在する。

    しかしそれを信じない人は

    孤独の淋しさから

    抜け出せないだけです。

    信じる心の大安心は

    同行二人と信頼関係です。

    私は一人じゃない、

    死ぬときも一人じゃない。

    一緒にご先祖様はそばにいてくれるのです。

    家族も友も、何もかも大事な同行二人です。

    そして、過去仏、御先祖様は

    最高の心の同行二人です。

     

     一人じゃないよ!

    一緒だよ!

    大宇宙の大親様の元に生まれて帰るだけの

    私の一生だよ!

    信じることが大事。

    一緒に共鳴して一度しかない人生を

    大事に感動して生きて行こうじゃないか!

     

  • はがき伝道 2023年11月17日

    はがき伝道 令和5年9月423号 真福寺

     

    忘れられた原風景

     

     桃栗三年、柿八年という言葉がある。

    果物を植栽して、

    数年たたねば実がならない喩である。

    どんなにおいしいものでも

    待たねば実ってくれないのである。

     

     春の田植えをして夏を過ぎ、

    秋の実りを待って米となる。

    多くの人の手を経て、

    家庭の食卓に届くのである。

    待つ習慣が生活の中で

    子供のころより習慣として

    学んでいたのが

    昭和30年代までの

    日本の原風景だったのです。

     

     夕焼け小焼けで日が暮れて 

     山のお寺の鐘が鳴る

     おおてて繋いでみな帰ろ

     カラスと一緒に帰りましょ

     

     こんな風景の中で川遊び、

    田畑の草むしり、

    秋の御神輿、祭り風景、

    冬の田んぼで滑る下駄スケート、

    雪が降れば竹を半分に割って作るスキー等々、

    自然の中で季節を感じ学んだものは

    何事も一生の宝である。

    コツコツと地道に学び続けて

    始めて成功の果実を手に入れる。

     

     しかもこつこつと地道に学び続けても

    失敗がある。

    その失敗を繰り返すことで

    大きな喜びの成功を体験する。

    そのことを少年期に自然と共生する中で

    大人になっていた。

    それが過去の日本の風景だったと思う。

    幼少期の我慢とコツコツを学ばず

    即席の結果を手に入れる習慣しか学ばずに

    社会人として世に出ていくとき、

    キレやすい社会人が多くなる。

    自衛隊の研修期間3か月の末

    教官に発砲する事件が起きた。

    戦後教育の欠落している何かを

    語っている事件と思う。

     

     

  • はがき伝道 2023年7月28日

    はがき伝道 令和5年 8月 422号 真福寺

     

     良き縁、良き言葉、良き教え

     

     「良き縁、良き言葉、良き教えに

    会えるためには

    自分自身が会えることを

    念ずることである。

    今ここに生かされていることは

    父母の縁であり、

    自然の恵を頂いていることを

    感謝することである。

    それは『ありがとう』の心から

    始まるのです。

     

     良き縁、良き言葉、良き教えに巡り会うためには

    まず「ありがとうの心」を持つことである。

    核家族になり個々の自由が大切にされている。

    その自由を語るために

    父母の縁、御先祖様の縁、

    大自然の絆の中で

    おぎゃーと生まれ育たねばならない。

    「おのれの自由」を語ることすら

    できないのである。

    大地に感謝、

    父母に感謝するものは

    自然と笑顔と優しさが

    体内からにじみ出てくる。

    そしてそれが

    良き縁、良き言葉、良き教えに

    巡り合う御縁となるのである。

     

     自由を叫ぼうが、

    「父母が勝手に産んで」と

    父母を貶そうが

    父母がいなければ、

    御先祖様の命の絆がつながっていなければ

    どうにもならないのである。

     

     先祖はいらない、

    父母は結構というのは自由である。

    しかし、自身の体は父母、

    御先祖様の血肉の伝承によって

    できているのである。

    きっと父母、御先祖様は

    “ムッ”としていることだと思う。

    そんな感謝の心がない人生に

    父母、御先祖様が良き縁、

    良き言葉、良き教えに会える機会、

    チャンスを作ってくれるとは思えないです。

     

     風光明媚な大自然や神を敬い、

    御先祖様を崇める、

    敬神崇祖の心を大事にすることで

    大いなる良き縁、

    良き言葉、良き教えに

    出会えると私は信じます。

  • はがき伝道 2023年7月28日

    はがき伝道 令和5年 7月 421号 真福寺

     

     二度とない人生だから

     

     二度とない人生だから

     一輪の花にも

     無限の愛を注いでゆこう

     一羽の鳥の声にも

     無心の耳を傾けてゆこう

     二度とない人生だから

     まず一番身近な者たちに

     できるだけのことをしよう。

     貧しいけれど心豊かに接してゆこう。

     

     坂村真民先生は「二度とない人生だから」

    という詩を残している。

     

     人生という舞台にやり直しはない。

    同じ舞台の幕は二度と開けられない。

     

     一生という字は「生は一つ」と書く。

    一つの生と書き、一つしかない生命といえる。

    何して生きようが、

    必ず終わりがくるのが一生である。

    納得のいく生き方をしないで、

    死んでゆくことは淋しい。

     

     私の舞台を生きるために、

    多くの縁と絆を大事にして、

    我が人生悔いなしと、

    一生を終わりたいものである。

     

     安岡正篤先生は

    「縁尋機妙、多逢聖因」といっている。

    縁と絆が笑顔の自分を招来できるように

    生きたいものである。

     

     「伊勢物語」に

    “月やあらぬ春や昔の春ならぬ

     わが身ひとつはもとの身にして”とある。

     

     50年前に大学キャンパスでバカ騒ぎをした

    新潟の住職二瓶が旅立った。

    二度とない人生であることを

    実感する今日この頃である。