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はがき伝道

はがき伝道
  • はがき伝道 2021年6月16日

    はがき伝道 令和3年 7月 393号 真福寺

     

    「同声相応・同気相求」 易経

     

     「硬パンをかじり、

    水を飲んで、

    夜泣き明かしたことのない人に

    人生を語り合う資格はない」と

    西欧の或る人が言ったと

    故山田無文老師は話した。

     

     親に先立たれた子の悲しみ。

    最愛の妻や恋人に先立たれた悲しみ。

    突然の交通事故、

    病気による別れの悲しみ。

    物心つかない幼子が

    親と死別した悲しみ。

    子どもに先立たれた親の悲しみ。

    説明できない突然の別離。

    多くの悲しみを

    誰しも心に抱えているのが

    私たちの人生かもしれません。

     

     人生は迷いや孤独という

    苦労の日々を乗り越えて、

    歓びをかみしめて

    生きてゆくものだと思います。

    まさに喜怒哀楽を

    深く深く

    かみしめてゆくことが

    味わいある人生の

    醍醐味かと思います。

     

     ライプニッツは

    「昨日を背負い、明日を孕んでいる今日」と、

    洞山良价禅師は

    「古轍にかなわんと要せば、前古を観ぜよ」と、

    ドラッカーは

    「今日に未来を呼びこんでこそ、

    未来は明るい希望となる」と、

    寂室元光禅師は

    「明日来也(みんるーらいやー)、

    今日来了(ちんるーらいりょう)」と言った。

     

     過去の原因が

    今日の結果であるなら、

    即今只今の行が

    未来の花、結果となる。

    未来の結果が

    希望の花となるか、

    悲劇の花となるかは、

    今の今にある。

     

     道元禅師は

    「春は花、夏ほととぎす、

    秋は月、冬雪さえて、

    すずしかりけり」と語っている。

     

     喜怒哀楽の苦あり、楽あり、

    涙あり、笑いありの人生を

    充実して送るためには、

    カタパンをかじり

    水を飲んで

    夜を泣き明かした日々を

    乗り越えたところに、

    極楽があると達観することである。

     

     

  • はがき伝道 2021年4月25日

    はがき伝道 令和3年 6月 392号 真福寺

     

     偶然 縁に拾われて!

     

     たまたま父母の縁で東光寺に生まれて、

    たまたま18歳で龍雲寺様に拾って頂き寺の小僧となり、

    たまたま建長寺に行って修行して、

    たまたま真福寺に拾われて50年。

     

     たまたま70歳にして東光寺に拾われて、

    東光寺過去仏と巡り合い、

    その心を汲み上げている昨今である。

     

     他人には自分の真の

    ど真ん中の地金はわからない。

    自分にしか本当の

    自分の地金はわからない。

     

     私は「にせものであり」

    「小心者であり」「無能な」「わがままな」

    「気の弱い」「知恵も知識もない」。

    それが私の地金である。

     

     そうした地金を素直に見つめ、

    人生を生きていくうちに、

    どれほど多くの縁と絆に

    拾われてきたかに気づいた。

     

     寺に生まれて、

    育ててもらい、

    今日まで生かされていることの

    不思議さを実感する。

     

     例えば、百万冊のそれぞれに

    百万人の共鳴がある。

    しかし、我が心に共鳴できるものは

    ただ一冊ということもある。

    百万冊の中の一冊に巡り合う。

    たった一冊の出会いを可能にするために

    百万冊の出会いが大事となる。

    百万冊の出会いが

    自分の波長に合った

    一冊の出会いにつながる。

     

     人と人との共鳴も

    互いの地金が共鳴することである。

    共鳴できる人との出会いは

    めったにないものだ。

    自分の生き方に共鳴できる人に

    出会うためには、

    自分の地金を捨てずに、

    生きることしかない。

     

     自分自身が、

    逃げずに生き切ることでしか、

    良き人との共鳴は生まれない。

    銅と鉄は共鳴できないのと同じである。

    感応道交できる共鳴である。

     

     

     

     

  • はがき伝道 2021年3月16日

    はがき伝道 令和3年 5月 391号 真福寺

     

     葬儀、宗教が消失しない原点

     

     一生はいつも勝ち組に

    いられるものではない。

    時には病気に負け、大病する。

    時には会社が傾き、倒産することもある。

    大自然の災害、

    地震、火災、天災を受けることもある。

    不慮の交通事故や人災に遭うこともある。

     

     まさかの連続であり、

    ときにもうやっていられないと思う。

    たまらん坂もある。

    でも、でも、

    それでも生きていることは

    楽しい、うれしいと思うことである。

    「春になれば、ヘェ花が咲くでよぉ」

    と語り合った青春時代を思い出す。

     

     苦しい時があれば、

    必ず、福もくる。

    冬があれば、

    必ず春がくる。

    それが遅く来るか、

    早く来るかはわからない。

    しかし、必ずやってくる。

    それが生きる希望となることを

    天と地は教えてくれています。

    コロナの時代は

    そんなことを教えているのだと

    私は思っている。

     

     そして、コロナの時代で

    大事なことを私は気付いた。

    葬儀という儀式をである。

    それは、

    不確実な

    最後の看取りができない

    人生の終焉を迎える

    旅立ちがコロナによる死である。

     

     死を認めて納得する儀式が葬儀である。

    正常な安定した平和な時代の時は、

    死は生の延長に起こる断絶であるから、

    別れの儀式を不要とする意見も

    世間を跋扈できる。

     

     しかし、不慮の事故、

    突然のコロナ疫病による

    隔離されて、親戚、縁者も立ち会えない。

    最後は旅立つ本人も、

    残された者も納得いかない旅立ちとなる。

    その時、葬儀式という旅立ちの儀式は

    旅立ちの重要な心の整理をする安全装置となる。

    パンデミックは、人類の誕生以来、

    日常的に経験して今日に至る。

     

  • はがき伝道 2021年3月16日

    はがき伝道 令和3年 4月 390号 真福寺

     

    まさかのたまらん坂

     

     朝ゆふの飯さへ こわしやわらかし

     おもふままには ならぬ世の中

    「雪峰義存禅師」宋代

     

     飯は誰でも日に三度づつ

    無くてはならぬものだが、

    その三度の飯が、

    思うままには、

    なかなか焚けない。

    いや、そこに人生難の

    すべての問題が潜んでいる・・・

    雪峰は修行中

    どこに行っても

    いつも飯頭といふ役を志願した。

    昭和12年発行「禅問答」ヨリ

     

     今、令和3年4月である。

    時代が変わっても

    変わらないものがある。

    世の中、その時代その時代の

    地獄極楽がある。

     

     そして人生の坂には、

    上り坂、下り坂、

    まさか、たまらん坂と

    生きていく中で、

    いつでも坂道を

    歩くように

    いろいろなことが起こる。

     

     中央線の国立駅と

    国分寺駅の間に、

    「たまらん坂」という地名がある。

    江戸時代の庶民が

    その坂道を登る時に

    ぼやいた言葉が

    「こいつぁ、たまらん」。

    そこから付いた名前が

    「たまらん坂」です。

     

     世の中が変わっても、

    人生の坂道はいつも同じだ。

    10年前の東日本大震災、

    昨年からのコロナ流行、

    2008年のリーマンショック、

    平成2-3年バブル崩壊、

    昭和2年世界大恐慌、

    第二次世界大戦、

    数々の人生の坂道を経験して、

    この世を旅立っていくのが

    一生ということだと思う。

     

     人生はそうした上り坂、

    下り坂、

    まさかの坂、

    こいつぁーたまらんという

    たまらん坂を

    幾重にも経験して

    なおかつ笑顔で

    ほっこりした人格をもって

    一生を送る人生でありたい。

    それが長寿を全うするということだと思う。

     

     

     

  • はがき伝道 2021年2月1日

    はがき伝道 令和3年 3月 389号 真福寺

     

    「イベルメクチン」 (筆者の独り言)

     

     ノーベル生理学、医学賞受賞者である

    大村智先生が中心になり開発した

    イベルメクチンの効果が、

    新型コロナウイルスに対して、

    世界の臨床実験で

    確認されつつあるという、

    一筋の希望の光明が差し込んできた。

    「月刊『致知』2020年12月号ヨリ」

     

     大村智先生は

    いつもどこに行くときも、

    ビニール袋とスプーンを持ち歩くそうです。

     

     ある時、静岡県伊東市で採取した土から、

    それまで知られていなかった

    放綿菌を発見した。

     

     その放綿菌が製品化して、

    イベルメクチンになる。

     カナダの特別養護老人ホームで

    疥癬(かいせん)が発生した病棟の

    全患者に投与する。

    その病棟だけ

    新型コロナウイルス感染者が

    いなかったという事例がある。

    そのホームの他のフロアでは、

    たくさんの感染者が出たにもかかわらず。

     

     今、他にも

    イベルメクチンの

    コロナに対する効果を見る

    治験が世界的に行われている。

     

     令和2年3月29日ウイルス学の専門誌で

    「イベルメクチンが新型コロナウイルスの

    細胞レベルでの増殖を阻害する」

    と発表されている。

     

     以後、世界の各地で臨床実験が開始され、

    治験を待たずに医師による使用が

    認められる観察研究が加速する。

     

     こうした中で、

    イベルメクチンんが

    我々の健康保全のために

    早く施薬投与してもらうことを

    切に願うのである。

    コロナ対策として

    重症化を抑える投薬として

    考えてもいいように思う。