-
はがき伝道 2018年10月12日
はがき伝道 360号 坎為水 習坎
はがき伝道 平成30年10月 360号 真福寺
「坎為水 習坎」
『苦しみに陥ったなら、
水のように流れる心をもって毎日を過ごし、
少しでも前に進んで行くことです』。
「もし、一生に一度あるかないかという
大変な苦しみに陥ったなら、
生きる気力をなくしてしまいます。
大切な人を失う、
重い病を患う、
災害に見舞われる。
こうしたできれば遭遇したくないほどの
苦しみの時を説いているのが、
坎為水の卦です」。(超訳易経より)
先の見えない混沌とした時代は
太古の時代より
現代まで変わらず、
繰り返し繰り返し、
繰り返されてきました。
非日常の世界が日常なのである。
現代の世の中だけが
混沌としているわけではないのです。
誰でもその人にとっての幸福を願います。
しかし、同じ幸福を願うなら軋轢は生まれません。
十人十色の幸福を認めるなら当然、
十人が十人の要求の中で生きる以上、
意見の違いを生み、
争いが起こるのは当たり前になる。
天変地異は人間の計り知れない
宇宙の摂理です。
陰が極まれば陽に転じ、
陽が極まれば陰になる。
物理的宇宙のゆがみは
新しい変化変動を生じる。
その時人間にとって
天変地異という言葉で不安を生むのです。
大自然の変化は大宇宙の原理の中で
地球が動いているのです。
インドネシアでM7.5大地震があり、
北海道でM7.5の大地震があり、
ウルトラ級の台風が数回にわたり
沖縄から本州にかけ
縦横に横切り
多大な災害をもたらした。
天地人合一という言葉の通り、
天と地に生きることしか出来ない。
素直に今ある現実を
受容する時、
生かされている今に
感謝が生まれると
私は思っている。
-
はがき伝道 2018年9月15日
はがき伝道 359号 ひと手間
はがき伝道 平成30年9月 359号 真福寺
「ひと手間」
「すべての仕事に『ひと手間』を加える。
その積み重ねが
他社にはできない付加価値に変わる」
と繊維商社「丸眞」の社長は言っている。
座学の知識も大事だが、
現場の実地から学ぶことが大事である。
現場に学ぶためには、
常在戦場の気持ちをもって
「ひと手間」の工夫を毎日考え、
トレーニングし、
日々、己事究明の精神を忘れず、
ひとつことに専心努力することである。
他人の話を聞いて
「そうだね」と思うだけでは
自己の能力向上は図れないのだ。
現場の本番一回を実施するために
事前の反復練習は
10~100回必要とする。
実践、考察、新しい思考による
発見の実践、実践の反省、事前の練習という
繰り返しの中で、
新しい気づきから
「ひと手間」の実践が生まれるのだ。
「ひと手間」の実践の失敗を恐れず、
改良、考察、再考察から生まれた
新たな「ひと手間」の実践をすることで
成功の方程式が生まれる。
事前のトレーニングを繰り返すためには
内面にそのことをすることが
「大好き」で「楽しい」という
感性の凄まじい内発的発動がなければ無理である。
今を生きていくための
「ひと手間」を考え、
実践していくことを楽しむことが
幸福成功の秘訣かもしれない。
物事の成功は久しく続けることが第一である。
続けなければ完成はないのである。
中国のことわざに
「道は近くとも、
行かなければ到達せず、
事は小さくても、
行わなければ成就しない」
とある。
成功を手に入れるにはゆっくりあきらめず、
愚直に研鑽努力することである。
「ひと手間」の努力を!
-
はがき伝道 2018年8月23日
はがき伝道 358号 「危機管理」
はがき伝道 平成30年8月 358号 真福寺
「落語家の危機管理」と題して
立川談四楼が平成30年6月11日付日経文化面で
こんなことを語っている。
落語家には
前座、二つ目、真打の三つである。
二つ目、真打の全員が結構ハードな
前座修行を経験して
精進するのだそうである。
前座の時代を立川談志は
「修業とは理不尽に耐えることなんだ」
と言っていたそうです。
ベテランは異口同音に
「真打になった時より
二つ目になった時の方が
嬉しかった」と。
落語家の危機管理のルールは、
兄弟子、先輩が言われることは
「いいかい、すぐに謝るんだよ」
「言い訳は御法度だよ」
とにかく謝罪が先なんだ。
謝ると『次は気をつけな』となる。
私も寺で小僧をしたことがあります。
寺に入ると兄弟子や、
修行から帰ったばかりの
バリバリの雲水の先輩さんがいました。
入ったその日から
日点、掃除、朝課、食事
なにからなにまで知らぬことばかりでした。
何をやっても怒鳴られ
「バカ、マヌケ、よくそれで大学に入ったな」でした。
頭にくることばかりでした。
そんな時に、
修行から帰ってきた先輩が
私に教えてくれた言葉は
「ここはな、
白い物を師匠が黒と言ったら、
理屈無しで黒だと言うことを覚えろ。
それが小僧のルールだ。
先輩が何を言っても『ハイ』と言え。
口より先に体を動かせ」でした。
改めて思い出しました。
あの小僧生活があったお陰で
今の私が無事に
生きているのだなぁと思った。
「まさに小僧修行時代の危機管理」でした。
厳としたルールを守っている組織が
長期的に繁栄し、存在する。
それが組織に伝承されたルールであり、
良き伝統ということになる。
-
はがき伝道 2018年7月28日
はがき伝道 357号 「己事究明」
はがき伝道 平成30年 7月 357号
「人生に近道はない、まずは己事究明が先である」
桃栗三年、柿八年。
実がなるためには時間がかかる。
あせって結果を求めても無駄である。
納得のいく結果を得るためには
修養研鑽がいるのである。
物事の機が熟するために必要な時間がある。
時節因縁を感ずべし。
途中で機が熟するまで
我慢出来なくなって
諦めてしまいがちだ。
短絡的にすぐ結果を
求めてはだめである。
思いがけない転機が
いつ訪れても対応できるように、
日頃からしっかり自分を
磨いておかなければいけない。
怠らずに自分磨きを続けておれば
必要とされて仕事の方からやってくるものである。
自分磨きをしていれば、
自然に繁栄黄金の華が咲くのだ。
小さな積み重ねの努力が大事である。
積み木も早く高くしようと
縦にだけ積み過ぎると倒れてしまう。
土台をしっかりと横にして
積んでいくと
高く積めるようなものである。
早く結果を出そうとすることは
人生の積み木崩しをするようなものである。
地道にやってきたことの積み重ねによって
人生の花は咲くのだ。
馬鹿になりきって
地道に生きることは大変なことだ。
他人の目は気になり、
横道に目が向くものである。
しかし、一途にこの道と決めた方向を
研鑽努力し、
地道に生きて学習することを
うまずたゆまず実行し
自分磨きに徹することが
成功の秘訣かもしれない。
他人の芝生は良く見えるものである。
他人に振り回されて
横道にずれても
自分の本筋は磨かれないことを
覚悟すべきである。
禅の世界は深く、
知ろうとすれば
山林に迷うがごとく、
非力の自分を実感するのが
本当のところである。
禅の己事究明に徹することは
大変なことである。
-
はがき伝道 2018年7月28日
はがき伝道 356号 非力
はがき伝道 平成30年6月356号 真福寺
「非力の菩薩、人を救わんとして溺れる」
山口師の言葉が心に止まった。
日大アメフット選手の悪質タックルが
世間を騒がせている。
米・北朝会談が実現するかしないかという今、
この文章を書いている。
山口師が70年代当時、
禅の師匠に入門して間もなくのとき、
師匠から諭された言葉が
「非力の菩薩、
人を救わんとして、溺れる」
でした。
山口師は世界平和は
いかにしたら実現できるか
教えてほしいと言うと、
師は
「まずお経を覚えろ」
と言われたそうです。
そこでまた同じことを師に
「世界平和はいかにしたら…」
と問うたそうです。
すると、師は室内に山口師を呼び、
上記の言葉を言ったそうです。
つべこべ言わず、
まず「お経を覚えろ」。
寺の作務を専一に
一生懸命することが大事と言ったのです。
「目前心後」という
世阿弥の言葉がある。
眼前に起こることに
心を囚われて
自分の力を磨くことを忘れたら
何もかも実現できない。
心はいつも明鏡止水の心境で
客観的に観察しないといけない。
他人を客観的に見ることは出来ても、
なかなか自分を客観的に
見ることはできないものである。
少し言葉を変えれば、
社会批判は出来るが、
自己の実力を磨いていく努力は
出来ないものである。
そのことを師は山口師に
目前の禅寺における作法である
「お経を覚え、作務に心を集中しなさい」
と言ったのです。
世間のことを気にするような時ではない。
力を持たない自己の現実の
今の非力な自分の姿を
しっかり認識して、
精進しなさいと諭されたのでした。
70年代は安保、ベ平連、沖縄返還、
成田空港反対、連合赤軍、安田講堂事件、
三島由紀夫割腹事件、学生運動等々の
真っ只中の時代に、
山口師は禅の世界で生きる道を選んだのでした。


