はがき伝道 | 宗教法人 真福寺 | 山梨 お寺 水子供養 永代供養 ペット供養

はがき伝道

はがき伝道
  • はがき伝道 2019年1月17日

    はがき伝道 平成30年12月 362号 真福寺

     

    「38億年の生命の絆がたどりついた、一息の幸せ」

     

     健康な人間には理解できないことがある。

    まず、一息一息をあたりまえに

    呼吸しているのが健康体の姿である。

    一息一生と考えることはないのが

    当たり前の人生である。

    息を吸って吐いて

    毎日そうして生活している自分が、

    ある日呼吸ができない病気になった時、

    一息の有難さを実感する。

     

     今、ここに生きている。

    生かされている幸せを実感する。

    不治の病により、

    毎日の生活に不便が出たとき、

    健康な自分を思い出す。

    生かされている自分の人生に

    ありがとうの心が生まれる。

     

     地球が誕生して138億年、

    私たちの生命が地球に誕生してより

    38億年が経過して今の時代になっている。

     

     生命が「おぎゃー」と誕生してから38億年、

    その間、一度も生命の連鎖が切れることなく、

    私たちまでたどりついているのだ。

     

     38億年の生命の大樹の先端に

    私たちの生命はいることになる。

    赤ちゃんが産まれるためには

    38週間母体にいることが

    当たり前になっている。

    1週間が1億年の進化に相当する。

    38週経過して38億年の生命進化を経験し、

    「おぎゃー」と産まれたのが私たちである。

     

     今、ここに生きていることは

    本当にありがたいことである。

    生きているだけで最高。

    今ここにいるだけで、

    もう幸せということである。

     

     

  • はがき伝道 2018年11月27日

    はがき伝道  平成30年11月361号  真福寺

     

    「坎為水(かんいすい) 習坎(しゅうかん) 」(坎為水の卦)Ⅱ

     

    第二次世界大戦後に生まれた体制が、

    崩壊しはじめた時代に突入している。

    戦後の陽の時代の終焉は、

    陰の時代の幕開けとなる。

    現代はあきらかに陰の時代である。

    陰の時代はエネルギーが切れて、

    ものごとが滞る時代である。

    思い通りにならないのが陰の時代である。

     

    こうした、エネルギー切れで、

    ものごとが停滞する時代に必要なことは、

    まず充電である。

    陰の時代は、

    大地の滋養の時代である、

    土壌づくりの時だ。

    土さえ良ければ、

    種は大きく育つ。

    陰の力を強めれば陽の気は自然に育っていくのだ。

    そのためには、

    無理せず、焦らず、頑張りすぎず、ゆったり過ごすことである。

     

    長い陰の時代は、

    次の陽の時代へ向かって

    遠い光をたよりに歩んでいくのが大事で、

    着実に一歩一歩進んでいくためにも、

    力を温存していくことが必要である。

    受容する心、素直に現実を受け入れて、

    忍耐が必要な苦労の時である。

    受け入れることで、人間の厚みが生まれる。

    苦しみが度重なるごとに、

    繰り返しその時に習うことである。

     

    縄文時代から連綿と続く歴史の繰り返しの中で、

    現代まで経験してきた人々の苦しみの歴史は

    無尽蔵である。

    その時代の苦しみと悲しみを学び、

    習いながら、

    乗り越え、現代に辿り着いてきたのが

    人類の歴史なのだ。

     

    人は出来れば経験したくない時と向き合う。

    大変な苦難を乗り越えた経験は、

    いまの自分を支えていると、

    必ず思えるようになる。

    人は苦しい悲しいことを経験します。

    その苦しいことを習うのだといっても、

    習えるものではないと思うものです。

    しかし、現実の今を生きていくためには

    習うことしか救われる道はないのです。

     

     

     

  • はがき伝道 2018年10月12日

    はがき伝道  平成30年10月 360号 真福寺

     

    「坎為水 習坎」

     

     『苦しみに陥ったなら、

    水のように流れる心をもって毎日を過ごし、

    少しでも前に進んで行くことです』。

    「もし、一生に一度あるかないかという

    大変な苦しみに陥ったなら、

    生きる気力をなくしてしまいます。

    大切な人を失う、

    重い病を患う、

    災害に見舞われる。

    こうしたできれば遭遇したくないほどの

    苦しみの時を説いているのが、

    坎為水の卦です」。(超訳易経より)

     

     先の見えない混沌とした時代は

    太古の時代より

    現代まで変わらず、

    繰り返し繰り返し、

    繰り返されてきました。

    非日常の世界が日常なのである。

    現代の世の中だけが

    混沌としているわけではないのです。

     

     誰でもその人にとっての幸福を願います。

    しかし、同じ幸福を願うなら軋轢は生まれません。

    十人十色の幸福を認めるなら当然、

    十人が十人の要求の中で生きる以上、

    意見の違いを生み、

    争いが起こるのは当たり前になる。

     

     天変地異は人間の計り知れない

    宇宙の摂理です。

    陰が極まれば陽に転じ、

    陽が極まれば陰になる。

    物理的宇宙のゆがみは

    新しい変化変動を生じる。

    その時人間にとって

    天変地異という言葉で不安を生むのです。

    大自然の変化は大宇宙の原理の中で

    地球が動いているのです。

     

     インドネシアでM7.5大地震があり、

    北海道でM7.5の大地震があり、

    ウルトラ級の台風が数回にわたり

    沖縄から本州にかけ

    縦横に横切り

    多大な災害をもたらした。

     

     天地人合一という言葉の通り、

    天と地に生きることしか出来ない。

    素直に今ある現実を

    受容する時、

    生かされている今に

    感謝が生まれると

    私は思っている。

     

     

  • はがき伝道 2018年9月15日

    はがき伝道  平成30年9月 359号 真福寺

     

    「ひと手間」

     

    「すべての仕事に『ひと手間』を加える。

    その積み重ねが

    他社にはできない付加価値に変わる」

    と繊維商社「丸眞」の社長は言っている。

     

    座学の知識も大事だが、

    現場の実地から学ぶことが大事である。

    現場に学ぶためには、

    常在戦場の気持ちをもって

    「ひと手間」の工夫を毎日考え、

    トレーニングし、

    日々、己事究明の精神を忘れず、

    ひとつことに専心努力することである。

    他人の話を聞いて

    「そうだね」と思うだけでは

    自己の能力向上は図れないのだ。

     

    現場の本番一回を実施するために

    事前の反復練習は

    10~100回必要とする。

    実践、考察、新しい思考による

    発見の実践、実践の反省、事前の練習という

    繰り返しの中で、

    新しい気づきから

    「ひと手間」の実践が生まれるのだ。

    「ひと手間」の実践の失敗を恐れず、

    改良、考察、再考察から生まれた

    新たな「ひと手間」の実践をすることで

    成功の方程式が生まれる。

     

    事前のトレーニングを繰り返すためには

    内面にそのことをすることが

    「大好き」で「楽しい」という

    感性の凄まじい内発的発動がなければ無理である。

     

    今を生きていくための

    「ひと手間」を考え、

    実践していくことを楽しむことが

    幸福成功の秘訣かもしれない。

     

    物事の成功は久しく続けることが第一である。

    続けなければ完成はないのである。

     

    中国のことわざに

    「道は近くとも、

    行かなければ到達せず、

    事は小さくても、

    行わなければ成就しない」

    とある。

    成功を手に入れるにはゆっくりあきらめず、

    愚直に研鑽努力することである。

    「ひと手間」の努力を!

     

     

  • はがき伝道 2018年8月23日

    はがき伝道 平成30年8月 358号 真福寺

     

    「落語家の危機管理」と題して

    立川談四楼が平成30年6月11日付日経文化面で

    こんなことを語っている。

     

    落語家には

    前座、二つ目、真打の三つである。

     

    二つ目、真打の全員が結構ハードな

    前座修行を経験して

    精進するのだそうである。

     

    前座の時代を立川談志は

    「修業とは理不尽に耐えることなんだ」

    と言っていたそうです。

    ベテランは異口同音に

    「真打になった時より

    二つ目になった時の方が

    嬉しかった」と。

     

    落語家の危機管理のルールは、

    兄弟子、先輩が言われることは

    「いいかい、すぐに謝るんだよ」

    「言い訳は御法度だよ」

    とにかく謝罪が先なんだ。

    謝ると『次は気をつけな』となる。

     

    私も寺で小僧をしたことがあります。

    寺に入ると兄弟子や、

    修行から帰ったばかりの

    バリバリの雲水の先輩さんがいました。

    入ったその日から

    日点、掃除、朝課、食事

    なにからなにまで知らぬことばかりでした。

    何をやっても怒鳴られ

    「バカ、マヌケ、よくそれで大学に入ったな」でした。

    頭にくることばかりでした。

    そんな時に、

    修行から帰ってきた先輩が

    私に教えてくれた言葉は

    「ここはな、

    白い物を師匠が黒と言ったら、

    理屈無しで黒だと言うことを覚えろ。

    それが小僧のルールだ。

    先輩が何を言っても『ハイ』と言え。

    口より先に体を動かせ」でした。

    改めて思い出しました。

    あの小僧生活があったお陰で

    今の私が無事に

    生きているのだなぁと思った。

     

    「まさに小僧修行時代の危機管理」でした。

     

    厳としたルールを守っている組織が

    長期的に繁栄し、存在する。

    それが組織に伝承されたルールであり、

    良き伝統ということになる。