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はがき伝道

2023.04

  • はがき伝道 2023年4月15日

    はがき伝道 令和5年 5月 418号 真福寺

     

    吉田松陰の言葉

    「夢無き者に理想なし

     理想無き者に計画なし

     計画無き者に実行なし

     実行無き者に成功なし

     ゆえに夢無き者に成功なし」

     

     JR九州を一部上場まで成長させた唐池恒二氏が、

    日経「私の履歴書」の最終稿の巻末に

    書いていた文章が上記の吉田松陰の言葉である。

    リーダーに求められるものは

    夢を持ち、実行する。

    情熱をもって実行する気概が大切ということだと思う。

     

     建長寺たより第87号に

    建長寺専門道場師家酒井泰玄老師は

    「毒言吐いたら自分も浴びる」

    「蒔かない種は咲かないが、

    望まぬ花が咲いたなら

    昔その種をまいたのだろう」

    安芸の国(広島)の「伝道掲示板」から

    二題を紹介している。

     

     師は人生で起こる様々な出来事は

    人智の計り知れぬことばかりであり、

    お釈迦様の説かれた「因果」の理法から

    何人たりとも逃れられない。

    自分の思うようにならないことの不条理の濁世を、

    浄土と住みなす方便、智慧が仏教ですと説く。

    そして、最後に師は

    昭和60年8月12日、日航機123便が墜落、

    520名の尊い命が失われた。

    この便に搭乗予定の「さんまさん」でしたが、

    当日収録が早く終わり、

    一便早めたために

    九死に一生を得たのでした。

    と語っています。

     

     因縁という題で書かれた師の言葉といい、

    唐池氏の言葉といい、

    人に生まれて一生を送る中で、

    夢を実行実現するためには

    不条理の世を生きる方便智慧を

    実直に素直に受け止めて

    学び勉強し続ける

    誠実な生き方が大事と思う。

    それが御先祖様から受け取った命を

    精一杯生きることだと思う。

    人生に無駄はないということです。

     

     

  • はがき伝道 2023年4月15日

    はがき伝道 令和5年 4月* 417号 真福寺

     

     先縁尊重

     

     先縁の原点は両親である。

     親なくして我はない。

     生み育ててもらい今があることを感謝する。

     親は生命の根っこである。

     根っこに水をやらなければ

     すべての植物は枯れる。

     親を大事にする。

     先祖に感謝することは

     根っこに水をやるのと同じである。

     「父母の恩の有無厚薄を問わない。

     父母即恩である」(西晋一朗ヨリ)

     

     両親の生まれ育った大地を感謝することです。

     ローマはローマたらしめている

    大地を守ろうとする意識が薄れて滅びたという。

     

     陸奥宗光の父は

    「春風の雪のとざしを吹くまでは

    雪籠りせよ谷の鶯」と宗光をさとした。

     鴨長明は

    「ゆく河の流れは絶えずして、

    しかも、もとの水にあらず」と言った。

     

     人生は一度しかないのである。

    世の中の人々がつい見逃している

    様々な人生の喜びを

    再発見すること、

    わかりやすく心身に

    しみこませてゆく幸せを体感することで

    朝夕のさえずりを聞き、

    心を清めることである。

    死にたいと思うより、

    生きたいと思うことである。

    それが幸福の第一歩である。

     

     桜のように散る生き方もある。

    細く長く、

    ぼちぼち生き延び、

    だらだら生きるのもいいと思う。

    かっこ悪かろうが、

    ぶざまであろうが、

    「しゃあないなァ」で生きるのもいいね。

    「あれか」「これか」でなく、

    「あれとこれと」

    「あれもこれも」でもいい。

    生きてることが大事だよ!

     米寿の母が飴をなめなめ言った。

    「人生なめるんじゃない」と。

    生きてりゃいい。生きてりゃいい。

     

  • はがき伝道 2023年4月15日

    はがき伝道 令和5年 4月 416号 真福寺

     

    能源 冲天気

     

     「エネルギー」を中国語に変換すると

    「能源」と訳するのだそうです。

    江戸時代の学者三浦梅園は

    「枯れた枝に花咲くを驚くより

    生木に花咲くを驚け」と言い、

    生木に花咲くことを感動せよ!と言ったという。

     

     今生きていること、

    生かされていることに感動しなさい。

    と私には聞こえた。

     

     生命が生かされている今を大事にすることは、

    過去に生きる事でもなく

    未来でもないのである。 

     

     能源とは頂いている

    無限のエネルギーを生かしきるために

    天から授かった無限の源泉を

    全身にあびて生き切ることである。

    それが生かされていることに

    対する感謝であり、

    感動である。

    生かされた今ここにいることに

    驚くことを三浦梅園は語っている。

    「今ここに生きることの幸せと

    縁に生かされていることの幸せを語る時、

    批判精神で物事を見るだけで

    分析しないことである」と私は思っている。

    自分という主観を大切にしながら、

    天の道理を楽しむ人生であるようにしたいものである。

     

     中国の言葉に「楽天知命」という言葉がある。

    まさにそのことを語っている気がする。

    古代より、

    自然の中に神々の息吹を感じ、

    あるがままの自然の山水を受用する生活の中に

    「楽天知命」の精神が生まれるのだと思う。

     

     能源は冲天気の如く

    永遠に全宇宙に降り注ぐ

    生命エネルギーであり、

    我々はそのエネルギーを享受して

    生かされている

    すばらしい存在であることに驚くとき

    心の奥底から感動が湧き上がってくる。

     

     

  • はがき伝道 2023年4月15日

    はがき伝道 令和5年 3月 415号 真福寺

     

     一人一人がお浄土を飾っていく

     一輪一輪の花になる

    梯寳圓

     

     多くの植物は寒い冬の間、

    活動していない。

    しかし、寒さに耐えながら

    根や茎は養分を蓄え、

    種は次の芽を出す場所を求めて、

    潜龍のように力を蓄えて

    晴の日差しを待っているのです。

    自分の咲く時期を待って

    冬の時中を大事にすごしているのです。

     

     その準備するべき時に

    力を蓄える準備を怠った種は春至りても

    きれいな花を咲かせることができず

    一升を終わることもあるのです。

     

     冬の時期の水やりが

    次咲く花に大きく影響することは

    多々あります。

    人間も芽の出ない

    冬の時期があります。

     

     ゆっくり考え学び、

    もがき焦る心を静めて

    力を蓄える時があります。

    まさに人間にとっては

    冬の種の時期と考えることができます。

     

     いろいろなことを心で練り直すチャンスと思えば、

    静かに心を磨くことに

    専念すれば良いのです。

     

     「一人一人」「一輪一輪」にそれぞれにあった

    人生の花の咲く場所と時間が必ずあります。

     

     私に合った場所

    その私にとって

    たった一つの咲く場所です。

    大事に納得できる

    咲く花になるように、

    一生一回しかない人生を

    我が人生に悔い無しと

    言える人生の花を咲かせて

    終わりたいものです。

     

     一人一人、一輪一輪にしか

    巡り合えない

    お悟りのお浄土を

    招来する美しい花を咲かせましょう。

    笑顔で送れる人生の花を咲かせましょう。

     

  • はがき伝道 2023年4月15日

    はがき伝道 令和5年 2月 414号 真福寺

     

    令和5年初春である。

    昨年令和4年7月8日安倍晋三元首相が

    新興宗教への怨恨による狂行で暗殺された。

    平成10年当時の原稿を思い出した。

     

    信仰をこころの杖として

    【はがき伝道 平成10年12月115号】

     

     殉教だけが新興の形ではない。

    幸福と調和と均衡をたもつ。

    幸福は自己中心の我儘の生活からは

    生まれないのです。

    人それぞれの生活習慣の違い、

    家庭・社会・国家の

    歴史的経験の違いが、

    物の考え方を

    千差万別に生みます。

    そして、行動規範も

    千差万別の方向を生みます。

    そのとき、各人の幸福指向も

    千差万別となります。

    いいかえれば、幸福の質も量も

    自己中心の我が儘なものに

    置き換えられる可能性もあるのです。

    心の平安・幸福感を得るために

    他人の不幸を代償として

    獲得する場合も

    許容されかねないのです。

     「こころ」のありようを

    丁寧に観察すべきです。

    内観するためにも、

    信仰をこころの杖として、

    生きてゆくことが大切。

    自己中心的、絶対的、

    対立的、排他的な発想につながる

    信仰を杖にしたときの信仰は、

    杖にすがればすがるほど

    自己破壊してゆくことになるのです。

    たとえるなら、

    毒蛇を杖と勘違いして、

    命を奪われるようなものです。

    自分を大切にする、

    安心という平安を得たい

    人生の幸福を得たいために

    つかんだ信仰という杖を

    間違えると悲惨な結果をうむのです。

     

     修業により、

    人生の「味っけが違い、

    味わい深さが違う」のです。

    修業の尊さは、

    徹して、信じきってゆくことを学ぶ。

    徹して、信じきってゆく

    頑固さを学ぶことにあります。

     

     一徹になりきることで、

    自分だけの人生の味付けができる。

    一徹になりきることで、

    人生を味わう深さが

    底なしの井戸水の如く、

    無尽蔵の法悦を汲むこととなるのです。

    一人一人みな自分に徹しきることです。

    自分に生きるのです。

    他人の生き方は他人の味付けの人生であって、

    自分の人生ではないのです。

     

    「年ごとに咲くや 

     吉野のさくら花

     樹を割りてみよ

     花のありかを」