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はがき伝道 2023年4月15日
はがき伝道 414号 信仰
はがき伝道 令和5年 2月 414号 真福寺
令和5年初春である。
昨年令和4年7月8日安倍晋三元首相が
新興宗教への怨恨による狂行で暗殺された。
平成10年当時の原稿を思い出した。
信仰をこころの杖として
【はがき伝道 平成10年12月115号】
殉教だけが新興の形ではない。
幸福と調和と均衡をたもつ。
幸福は自己中心の我儘の生活からは
生まれないのです。
人それぞれの生活習慣の違い、
家庭・社会・国家の
歴史的経験の違いが、
物の考え方を
千差万別に生みます。
そして、行動規範も
千差万別の方向を生みます。
そのとき、各人の幸福指向も
千差万別となります。
いいかえれば、幸福の質も量も
自己中心の我が儘なものに
置き換えられる可能性もあるのです。
心の平安・幸福感を得るために
他人の不幸を代償として
獲得する場合も
許容されかねないのです。
「こころ」のありようを
丁寧に観察すべきです。
内観するためにも、
信仰をこころの杖として、
生きてゆくことが大切。
自己中心的、絶対的、
対立的、排他的な発想につながる
信仰を杖にしたときの信仰は、
杖にすがればすがるほど
自己破壊してゆくことになるのです。
たとえるなら、
毒蛇を杖と勘違いして、
命を奪われるようなものです。
自分を大切にする、
安心という平安を得たい
人生の幸福を得たいために
つかんだ信仰という杖を
間違えると悲惨な結果をうむのです。
修業により、
人生の「味っけが違い、
味わい深さが違う」のです。
修業の尊さは、
徹して、信じきってゆくことを学ぶ。
徹して、信じきってゆく
頑固さを学ぶことにあります。
一徹になりきることで、
自分だけの人生の味付けができる。
一徹になりきることで、
人生を味わう深さが
底なしの井戸水の如く、
無尽蔵の法悦を汲むこととなるのです。
一人一人みな自分に徹しきることです。
自分に生きるのです。
他人の生き方は他人の味付けの人生であって、
自分の人生ではないのです。
「年ごとに咲くや
吉野のさくら花
樹を割りてみよ
花のありかを」
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