-
はがき伝道 2021年2月1日
はがき伝道 388号 星のかけら
はがき伝道 令和3年 2月 388号 真福寺
「星のかけら」で私たちはできている
ニュートリノ観測に成功した
故小柴先生は語っている。
『陽子が宇宙年令の
一兆倍の一億倍で
壊れるのを見る』ために
岐阜のカミオカンデを作った。
1987年2月23日、
1世紀に1度しか起きない
超新星爆発が起きた。
星が生涯の最後の大爆発により
大量のニュートリノを放出する。
そのうちの11個をカミオカンデが観測した。
稀なる一期一会による観測ができたのである。
「運がいいですね」と
先生に言った記者に向かって、
真っ赤になって怒り、
「運は準備ができた者にしか来ない」と。
「宇宙から(幸運)の贈り物(チャンス)は
誰にも等しく
降り注いだもので、
準備をしていたおかげで
捉えられた。
偶然ではない」と話された。
人生の幸、不幸も、
幸福も不運も
誰にでも平等に
等しく分け与えられている。
チャンスを掴む為に、
平素普段の努力の準備を怠らず、
いつも考えて、
考え抜いて、
試行錯誤を繰り返す努力という
準備が大事である。
命がある限り
ただ息をすってはいて
飯食ってうんこするだけの毎日からは
幸運の女神は微笑んでくれない。
今、コロナの時代は
女時の時代である。
気を練る時代として
生かされていることを大切に思い、
生き筋を見つける
思考思惟をするべきだと思う。
-
はがき伝道 2021年2月1日
はがき伝道 387号 目垢手垢
はがき伝道 令和3年 1月 387号 真福寺
生活に根付いた実践(手垢目垢)のありがたさ
五木寛之は
「目垢、手垢のありがたさ」
と題した文を書いている。
浄土真宗中興の祖、蓮如は
「名号は掛け破れ」と言った。
「仏壇の奥深く秘蔵しておくのではなく
身近な場所に掛けておいて、
日夜それに親しめ」と教えた。
自ら筆を執って書いた書簡、
御文書や御文と呼ばれるそれは、
読んで、読んで、
読み破れと教えたという。
教えが体の肉となり
骨に染み込むまで
読んで、読んで、読み破れ
ということである。
真福寺の檀家さんに
「酒屋」の屋号を持つ
安寺沢の佐藤さんがいる。
その家から出て、
東京に住む娘さんから
お手紙を頂いた。
今、コロナの時代である。
明治30年代、
秋山に赤痢が流行り、
多くの人が病死するそこで、
お正月の「おもち」を食べない願掛けをして
無病息災を神仏に祈願する作法を始めたという。
その作法を嫁いだ後も、
今でも実践していると
手紙で教えて頂いた。
そのお嬢さんは若い頃、
なぜか知らずに
「酒屋」の習慣を
嫁いだ後も実践して
今に至っている。
そして今回、
はがき伝道(385号)で、
疫病退散の願掛けと
わかったという。
120年前から
御先祖様の思いを
実践していたことになる。
まさに教えを理屈無しで実践し、
実践することで
先人の心を
血肉にして受け継いでいる、
見事な生きる実践である。
-
はがき伝道 2021年2月1日
はがき伝道 386号 儀式
はがき伝道 令和2年 12月 386号 真福寺
聖なるものを思い出す儀式が葬儀である
誕生を祝い、結婚を祝い、
死の別れを悼み、
感謝と安寧を願い、
悪霊退散を願い、
邪気払いをして、
清浄な魂となって、
現世の子孫を守ってくれることを
願う儀式をする。
それが葬儀である。
人生は一回きりの
再生できない生命活動である。
だからかけがえのない
我々の生命の終焉を迎えた時に
残された者たちが
別れを惜しんで弔う儀式が
葬儀式なのである。
生命という
聖なる存在を尊敬し、
敬い愛情をもって
思い出すことが儀式なのである。
お釈迦様が
戒名を付けなかったと
一部の学者が語ろうが、
お釈迦様の御遺骨は
今も大事に祭られている。
感謝を忘れていないからです。
各家々のお墓が
大事にされています。
自分に命をつないでくれた
御先祖様に対する
感謝があるから
お墓を大事にするのです。
私という聖なる生命を、
今に伝えてくれた
過去の人々に対する感謝を忘れない
葬送儀礼を大切にすることが、
自分を大事にすることにつながる。
人間の合理的思考の自由が
通用しない現実が、
「生老病死」である。
自然界の中で生かされて死に、
過去から現在まで命を繋ぎ、
継承してきた聖なるもの。
過去の聖なる御先祖様を忘れない
感謝の儀式を否定するところに
幸福はない。
コロナの禍いの時代である。
もう一度、立ち止まって、
足元を見直すことが
大事な気がします。
今、ここで、一生懸命生きるためにも、
聖なるものを
思い出す儀式を
大事にすべきです。
-
はがき伝道 2020年10月5日
はがき伝道 385号 明治の伝染病
はがき伝道 令和2年 11月 385号 真福寺
明治30年 上野原市内赤痢伝染病大流行
桑久保 東光寺山門横に建立している記念碑
明治治30年(1897年)、赤痢患者数 160名内死者24名
…歴史はじまって以来の未曾有(みぞう)の大惨事がおこった。
明治30年に県下で猛威をふるった赤痢の大流行である。
このとき県内で9,410人が罹(り)患。
…各地でおびただしい死者が出たといわれる。
…これらの死者を荼毘(だび)に付すときのあかりで、
町内の山々は毎夜明るくなったほどである。
(『上野原町史』より)
令和2年10月、
世界的新型コロナの伝染病が
巻き起こっている。
今から、120年前、
東光寺周辺の桑久保地区では
24名の死亡者が出た。
赤痢の犠牲者を
記録に残すために
この紀念碑を建立したのである。
全国各地で
明治時代伝染病が流行ったのである。
その原因は、
明治維新による開国により、
横浜に限らず、
各開港地から伝染病が
外国船により伝染したのである。
山梨県下の伝染病は
「横浜港=甲州」間の
絹の道を経由して流入した。
郡内地方は
桑・養蚕・絹織物という
繊維産業を基盤とした
経済構造で繁栄していた。
明治維新以後の
外国貿易による
グローバル化の
人的交流が
伝染病感染の原因となった。
日本国未経験の伝染病に対する
当時の医療施設医学医術の不備が
流行を増幅させた。
いわゆる市場の
グローバル化による
パンデミックということである。
-
はがき伝道 2020年9月12日
はがき伝道 384号 コロナの時代を生きる Ⅱ
はがき伝道 令和2年 10月 384号 真福寺
日本の戦争の特徴は、
同一民族の政権争いであって、
他民族を奴隷にする習慣がない国と言える。
ゲームで言えば、
インドに起こったゲームが
ヨーロッパに行けば、
チェスとなり、
日本にくれば、
将棋になったようなものである。
チェスは相手の駒が
自軍の駒となることはない。
日本の将棋は
自軍に入ると、
相手に向かって反撃することが
できるのである。
当たり前のことが、
受容されているのは
日本には戦いの場合は
敵軍を全滅する作法がない
ということである。
いわゆる相手をゆるす、
恕の文化があるのである。
それは12000年前から
1万年近く続いた縄文文化の恩恵が、
現代まで滅亡せずに
深層文化として
生きていることにあると考える。
明治維新以後のことだけをもって
批判する歴史史観による
自虐史論が
日本全土に浸透しないのは、
1万年間、
他人他国を受容する
平和の縄文精神が
他民族に侵略されずに、
温存されてきたことに
起因すると考える。
1万年間の
縄文精神スピリットの文化の布団に
2000年の弥生、農耕スピリット文化の
掛け布団が乗る形になる。
穏やかな成長、
緩やかな成長、
自然との調和の中で、
1万年の縄文生活が醸成発酵していった。
その精神文化が
日本人の深層心理として、
現在まで延々と脈打って
地下水の如く
流れているのである。
その清らかな文化の清水が湧き出て
現代の我々の心を潤しているのである。
日本の脳細胞の奥深くに刻まれた
縄文スピリットが今も、
泉の如く湧き出ているのである。
日本に奴隷制度が根付かず、
偶像破壊が起こっていない
一因であると思う。