はがき伝道 | 宗教法人 真福寺 | 山梨 お寺 水子供養 永代供養 ペット供養

はがき伝道

はがき伝道
  • はがき伝道 2022年9月25日

    はがき伝道 令和4年10月408号 真福寺

     

    「縁と絆に寄り添う」

     

    私の中に存在する自我に

    真我が寄り添う。

    例えば自我を流行、

    真我を不易と言えるかもしれない。

     

    子が父母に寄り添う

    父母が子に寄り添う

    御先祖様に寄り添う

    天地に寄り添い

    「ありがとう」と感謝を伝える。

     

     春夏秋冬の季節の移り変わりに

    寄り添い、

    生かされている自分に気付く

    喜びを感じましょう。

    大切な家族のそばに

    寄り添うとき、

    微笑みかけて

    寄り添うとき、

    春風のような優しい気が、

    私を包んでくれると思う。

     

    「ありがとう」の心で

    寄り添って生きていくとき、

    「ありがとう」の心が帰ってくる。

     

     騎牛帰家という言葉がある。

    ゆったりとした心で

    安心を頂いた

    優しい気持ちで牛に乗り、

    自ずと我が家に

    辿り着く心境である。

    俺が俺がの自己中心の生き方から、

    あなたから生かされている

    私は果報者。

     

     大自然万物の恵みの中で

    生かされている。

    私は何と幸せな人生だな!と感じ、

    見るもの聞くもの

    すべて良しの心となる。

    そんな心境が

    「騎牛帰家」かもしれない。

     

     十牛図の語る

    「騎牛帰家」とは程遠い語りであるが、

    「帰家穏座」するように

    本来の自分の安心の場を

    持つことが大事である。

    本来の面目に気付き、

    自己の内面に輝く、

    真我(不易)を見つけることで

    自己の寄り添う安心の場所となる。

    そこに大安心がある。

     

  • はがき伝道 2022年9月25日

    はがき伝道 令和4年9月407号 真福寺

     

    「ふしぎふしぎ 

    ここに生きて

    呼吸して

    手が動いて

    考えて

    泣いたり

    笑ったり

    なんという不思議な

    いのち

    もらったんだろう」

    画家 佐藤勝彦作

     

     いのちの不思議である。

     父母の縁により

    命を頂いた不思議に感謝します。

     

     父母のお蔭で今の私があります。

    父母につながる

    御先祖様の命の

    バトンリレーが

    一度も落とされず

    繋がってきた

    不思議な絆によって

    私があります。

     

     目に見えないけど

    御先祖はいるんだよ。

    その御先祖様は

    大いなる力、

    働きによって

    奇跡的な無限大の出会いにより生まれ、

    生かされてきた。

    その時代その時代を生まれて

    一生懸命生きてきた

    一人一人なのである。

     

     本当に「ありがたい」

    生命のつながりは

    「ふしぎふしぎ」である。

    その「ふしぎふしぎ」の命の鎖で

    私は今生かされているのです。

     

     私の地球のまわりは、

    太陽を始め

    宇宙の月や星の調和で

    満たされています。

    そして、地球には

    多くの人々、

    動植物微生物細菌まで含めて

    無限大の一切の恵みが

    満ち満ちています。

     

     その恩恵の中で

    私は生かされているのです。

    ありがたいことです。

    感謝です。

     

     今ここに

    「ふしぎふしぎ」

    私は生かされている幸せを感謝します。

     

     御先祖様に感謝します。ありがとう!

     ふしぎふしぎにありがとう!

    ありがとうの感謝を忘れず

    生きていきたいものです。

     

  • はがき伝道 2022年8月17日

    はがき伝道 令和4年8月406号 真福寺

     

    お盆経の一部抜粋した。経文である。

     

     

    お盆の先祖祀りの供養を積むことは

    父母の苦労、德に報い、答える宗教行事である。

     

    今、生きている私達には、

    幸福や楽しい人生と健康で

    長寿でいることが尽きないよう願い、

    亡くなった人々や御先祖様は

    苦から離れて安心と安眠を願う

    供養の救いの中に生まれますように願う。

     

    そんな年中行事の一つが

    7月、8月のお盆供養だと

    私は思っています。

  • はがき伝道 2022年8月17日

    はがき伝道 令和4年7月405号 真福寺

     

    ただされだけで十分

     

    元気で愉快に働き、

    晴々と年を重ねる

    長寿の秘訣は

    自分に合う波長で

    人生を送ることである。

     

    充実感、一体感、安心感で

    満たされる心を体得することである。

    自分の心の器が

    満足する時、

    笑顔、和顔、幸福感の

    充足を味わえる。

    笑々幸福の顔となる。

     

    年を重ねてくると、

    新しいものよりも、

    これまでに触れてきたものを

    もう一度味わってみたくなる。

    かつて聞いた音楽、

    見た絵、読んだ本、

    誰かと歩いた場所、

    すでに出会っている人との

    縁のある思い出と意味。

    現在まで歩いてきた

    地続きの思い出の中に

    その時その時の

    歩幅が少しずつ違っていたことに

    気付くことがいっぱいある。

     

    今、終活、終活と

    マスコミに振り回されて、

    あくせくと

    死の支度をする暇があったなら、

    少年、青年、壮年、老年と

    それぞれの時代に

    置き忘れてきた

    地続きの思いの気づきを

    楽しむ時間に充てることが

    大事じゃないかと思っている。

     

    過去仏と私は友達

    御先祖様は

    私の中に生きている。

    私が喜べば、

    御先祖様も喜ぶ。

    私が泣けば、

    御先祖様も悲しむ。

    私がありがとうと言えば、

    御先祖様もありがとうという。

     

    今、ここに私が生かさせて頂いているのは、

    御先祖様のおかげ。

    御先祖様にありがとうといえば、

    御先祖様はあなたが今ここに生きているから、

    過去仏の私も、

    今ここに生きていられるのだよ。

    と答えてくれる。

    今ある家族の幸福を願わぬ御先祖様はいない。

    楽しく明るく幸せな日々に感謝しながら、

    お盆を迎えましょう。

     

    令和4年7月8日安倍元首相が暗殺された。

    ご冥福をお祈りします。

     

     

  • はがき伝道 2022年8月17日

    はがき伝道 令和4年6月404号 真福寺

     

    都会のトカゲ

     

    渡辺和子氏は、

    「与えられた場所で

    花を咲かせなさい」と言った。

     

    禅では

    「随所主となる」

    「一隅を照らす」

    「立所真」

    「主人公」と禅語で語っている。

     

    先日、地下鉄赤坂見附の

    歩道を歩いていたら

    トカゲが雑踏の人ごみの中で

    ちょろちょろしていた。

    お堀には魚が泳いでいる。

    こんな都会の真中で、

    “トカゲ”、“魚”、“アリ”も

    与えられた場所で

    生きているんだなと思った。

     

    人間中心のただ中で、

    自然は人間に関係なく

    悠々と息をしているんだと思うと、

    生かされている

    自分を大切にするだけでなく、

    自然の懐の深さの中で

    生かされている

    感謝を忘れてはいけないと思った。

     

    私は我の強い人間である。

    その我を捨て去ることが

    柔らかい心に生まれ変わるために

    必要だと思った。

     

    今まで私は

    「俺がやらねば誰がする、

    今やらねばいつできる」

    で生きてきた。

    そのために失ったものもある。

    家族のためにと思うことを

    大事にしてきたつもりが、

    違っていたりした。

    俺が俺がの押し売りに

    明け暮れて、

    家族や相手の気持ちを

    聞くことさえ怠っていた。

     

    相手の心を聞かねばと思うのとは裏腹に、

    自己中心で生きてきた。

    一方通行の理解で終わっていた。

    全分を分かったつもりが、

    一分も分かっていなかったのである。

    私自身が

    「随所に主となる本来の面目」を

    見直すときである。

     

    泣き笑いを一緒に分かち合い、

    一緒に助け合って生きていく。

    誰が一番先ではなく、

    みんなそれぞれの歩みをして

    心がつながっている。

    そんな安心の中で

    生きてゆくことを

    大事に生きていきたい。

    そんな思いでこれからの人生を

    歩いていくつもりです。

     

    自然の中で人間は生かされているように、

    一人では生きてゆけないのである。

    「一切我今皆懺悔」である。