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はがき伝道 377号 無賓主

  • はがき伝道 2020年6月2日

    はがき伝道 令和2年 3月 377号 真福寺

     

     無賓主 臨済録「両堂斉喝、賓主歴然、照用同時、本無前後」

     

     「運命は決まっている」しかし、同時に

    「運命は自由である」。

    アインシュタインは「光は波であり、

    同時に粒子である」と提唱した。

    人生には「運・不運、明暗、生死陰陽」等々

    左右対称の如く、

    二律肯反が同時に並立してやってくる。

    どちらも自分の人生であり、

    すべての生き方に存在している。

     

     朱天峙(そばだ)つともいう。

    紙の表は文字絵、情報だらけ、

    しかし裏は真っ白である。

    人生という生きている時間は情報だらけ、

    しかし死後は無である。

    昼間活動している私たちは

    夜はデフラグして、

    次の活動の準備をする。

    心臓は一秒間の中で、

    オン・オフをしている。

    しかし、オン・オフでも

    昼でも夜でも

    生死でも

    全て矛盾が共存していることで

    私は存在できているのだ。

     

     運命は変えられない、

    時間空間に縛られている。

    しかしその縛られている中で、

    運命は自由である。

    いかに自由に生きられるかが大事である。

    生かされている時間空間の中で

    自由に生き切ることが

    納得いく人生ということではないだろうか!

     

     まったく正反対な異なるものが

    同時にそこにあるということである。

     己事究明とはここにあるような気がする。

     老師様は「無賓主」と言われた。