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はがき伝道 364号 「深耕の説」

  • はがき伝道 2019年10月21日

    はがき伝道 平成31年2月 364号 真福寺

     

    「深耕の説」

     

    1978年(昭和35年)に安良岡先生は

    「中世文芸としての五山漢詩文」の中で、

    義堂周信の一篇を載せている。

    周知の通り、義堂周信は、空華道人ともいい、

    1328年に生まれ、1388年に没した南北朝期の禅僧である。

    彼は「空華日用工夫略集」という日記を残している。

    円覚寺、建仁寺、南禅寺、瑞泉寺等々に住した五山僧です。

    以下、安良岡康作先生の文を引用させて頂きます。

     

    義堂周信の『空華集』巻十五に

    「深耕の説」一篇がある。

    ある時、義堂が野へ出てみると、

    大麦の畑があって、よく見ると同じ畝の中に、

    熟し方の異なるものがあった。

    なぜそうなっているのかと、

    年老いた農夫に尋ねたものがった。

    なぜそうなっているのかと、

    年老いた農夫に尋ねたところ、

    なまけ者の百姓のしわざだという。

    その理由を問うと、

    大体、土地というものは、

    浅く耕しておくと、種をまいても、

    必ず早く熟しはするが、茂に至らない。

    深く耕しておくと、種をまいたものは、

    晩(おそ)くできて、大きく肥える。

    したがって、農業を学ぶ者は、

    耕すことの浅いのを心配して、

    晩くできるのを心配しない。

    なまけ者の百姓は、力を集中せず、

    土の耕し方にも深い、浅いがあるために、

    麦の出来具合にも早い、晩いがあるのだと答えたという。

    義堂は、この老農夫の言葉に感銘して、

    「ああ、今の吾が徒や、道を耕すこと深からずして、

    名の晩(おそ)きことを患(うれ)ふる者、

    豈、老農の言に愧(は)づること無からんや。」

    と述べているが、ここにこそ、中世的「理(ことわり)」を、

    自己の経験に即して把握し、

    確立している表現を認めることができると思う。