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はがき伝道 370号 「孤独と淋しさの中で」

  • はがき伝道 2019年10月21日

    はがき伝道  令和元年8月 370号 真福寺

     

    「孤独と淋しさの中で」

     

    青春時代は友人であれ結婚であれ出産であれ

    すべての人間関係は増加の時代といえる。

    壮年期を境に増加の曲線は頂点を迎え、終息する。

    そして老年期を迎え、加齢する毎に友人であれ

    パートナーであれ、親族であれ、人間関係は減少曲線となる。

    老年期の喪失の時代からくる孤独と淋しさは

    誰でも経験する淋しさといえる。

    大切な友人、最愛の妻の旅立ち

    二度と手に入らない縁の別離は

    心の大きな孤独の穴をあけることになる。

    淋しさという孤独地獄に生きることになる。

    孤独からの解放は話すことである。

    生きがいを見つけ楽しむことである。

     

    妻と出会った頃流行っていた。「真夜中のギター」を

    結婚後はよく二人で酒を飲んだ時に歌ったものです。

    “街のどこかに、淋しがり屋がひとり 

    いまにも泣きそうに、ギターを弾いている 云々”

    妻が旅立つ二日前、病棟で“かあちゃん”と二人で

    「真夜中のギター」を歌ったときも、

    “かあちゃん”が死出の旅路に向かうとは。

    生ある者は必ず死ぬ。

     

    他人であれ自分であれ、出会いの数が多く、

    心を通わせた信頼関係が深いほど、

    別離のあとの孤独感はすさまじい。

    生きることは死ぬことを無視できない。

    人と人が出会い別れていくことは世の常である。

     

    はがき伝道で、相手に語りかけているつもりが

    実は自分が孤独から救われていたのです。

    人は孤独を感じないで生きている人はいない。

     

    三鷹市の渋谷さんの一文です。

    「私の気分を助けて頂いています。

    一人になったが、孫が一緒にいて、友達もいます。

    よくして頂き、楽しんでいます。

    主人が息を引取る前日に、

    『世話をかけたな』という一言で

    自分の気持ちが癒されました」。