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はがき伝道 391号 儀式

  • はがき伝道 2021年3月16日

    はがき伝道 令和3年 5月 391号 真福寺

     

     葬儀、宗教が消失しない原点

     

     一生はいつも勝ち組に

    いられるものではない。

    時には病気に負け、大病する。

    時には会社が傾き、倒産することもある。

    大自然の災害、

    地震、火災、天災を受けることもある。

    不慮の交通事故や人災に遭うこともある。

     

     まさかの連続であり、

    ときにもうやっていられないと思う。

    たまらん坂もある。

    でも、でも、

    それでも生きていることは

    楽しい、うれしいと思うことである。

    「春になれば、ヘェ花が咲くでよぉ」

    と語り合った青春時代を思い出す。

     

     苦しい時があれば、

    必ず、福もくる。

    冬があれば、

    必ず春がくる。

    それが遅く来るか、

    早く来るかはわからない。

    しかし、必ずやってくる。

    それが生きる希望となることを

    天と地は教えてくれています。

    コロナの時代は

    そんなことを教えているのだと

    私は思っている。

     

     そして、コロナの時代で

    大事なことを私は気付いた。

    葬儀という儀式をである。

    それは、

    不確実な

    最後の看取りができない

    人生の終焉を迎える

    旅立ちがコロナによる死である。

     

     死を認めて納得する儀式が葬儀である。

    正常な安定した平和な時代の時は、

    死は生の延長に起こる断絶であるから、

    別れの儀式を不要とする意見も

    世間を跋扈できる。

     

     しかし、不慮の事故、

    突然のコロナ疫病による

    隔離されて、親戚、縁者も立ち会えない。

    最後は旅立つ本人も、

    残された者も納得いかない旅立ちとなる。

    その時、葬儀式という旅立ちの儀式は

    旅立ちの重要な心の整理をする安全装置となる。

    パンデミックは、人類の誕生以来、

    日常的に経験して今日に至る。