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はがき伝道 392号 偶然

  • はがき伝道 2021年4月25日

    はがき伝道 令和3年 6月 392号 真福寺

     

     偶然 縁に拾われて!

     

     たまたま父母の縁で東光寺に生まれて、

    たまたま18歳で龍雲寺様に拾って頂き寺の小僧となり、

    たまたま建長寺に行って修行して、

    たまたま真福寺に拾われて50年。

     

     たまたま70歳にして東光寺に拾われて、

    東光寺過去仏と巡り合い、

    その心を汲み上げている昨今である。

     

     他人には自分の真の

    ど真ん中の地金はわからない。

    自分にしか本当の

    自分の地金はわからない。

     

     私は「にせものであり」

    「小心者であり」「無能な」「わがままな」

    「気の弱い」「知恵も知識もない」。

    それが私の地金である。

     

     そうした地金を素直に見つめ、

    人生を生きていくうちに、

    どれほど多くの縁と絆に

    拾われてきたかに気づいた。

     

     寺に生まれて、

    育ててもらい、

    今日まで生かされていることの

    不思議さを実感する。

     

     例えば、百万冊のそれぞれに

    百万人の共鳴がある。

    しかし、我が心に共鳴できるものは

    ただ一冊ということもある。

    百万冊の中の一冊に巡り合う。

    たった一冊の出会いを可能にするために

    百万冊の出会いが大事となる。

    百万冊の出会いが

    自分の波長に合った

    一冊の出会いにつながる。

     

     人と人との共鳴も

    互いの地金が共鳴することである。

    共鳴できる人との出会いは

    めったにないものだ。

    自分の生き方に共鳴できる人に

    出会うためには、

    自分の地金を捨てずに、

    生きることしかない。

     

     自分自身が、

    逃げずに生き切ることでしか、

    良き人との共鳴は生まれない。

    銅と鉄は共鳴できないのと同じである。

    感応道交できる共鳴である。

     

     

     

     

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