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はがき伝道 380号 「生きている私」

  • はがき伝道 2020年6月17日

    はがき伝道 令和2年 6月 380号 真福寺

     

    『生きている私』

     

     この世に生まれ出ることは、

    自分の意志で出来るものではない。

    父母より生を受けたというが、

    父母の前は、

    一人の男性がいて、

    一人の女性がいた。

     

     この地球上の数十億の人間の中の

    一人一人だ。

    その男性と女性が、

    それぞれの場所で生まれて、

    それぞれの両親に育てられ成長した。

     

     乳幼児から少年少女時代を経て、

    父母に育てられ、

    やがて青春時代を迎えて、

    男性と女性はある時

    ある場所

    ある状況の中で出会った。

    これは奇跡だ。

     

     そして、縁があって夫婦となった。

    これも奇跡だ。

     

     二人は愛し結ばれ、

    かつて少女だった妙齢の夫人は

    身籠って母となった。

    これも奇跡だ。

    28日周期で訪れる、

    ある人ある時の

    決定的瞬間に、

    2億とも3億とも言われる

    精子の中の一つが、

    壮絶極まる生存競争の果てに、

    卵子と出会い、結ばれる。

     

     選ばれし勝利の一瞬だ。

    この時卵子は戦い疲れて

    辿り着いた勇者の精子を

    抱くように迎え入れて

    優しく静かに、

    しっかりと新しい

    生命への活動を始める。

    生命のなんという

    荘厳なイニシエーション(儀式)だろうか。

     

     偶然が偶然を呼び、

    その偶然が奇跡を生み、

    その奇跡が新しい奇跡を起こす。

    果たしてそれを偶然というべきか、

    奇跡というべきか。

    いまここに

    自分が生きているという事実。

    『運命を拓く』中村天風より

     

    すべて、自分が今日あることへの

    絆と縁に結ばれた必然。

    そのものではないかと思う。